美智子さまも驚く歓迎ムードの日光

「午後2時ごろ、学習院が保有する郊外施設の『日光・光徳小屋』をご訪問。学習院の学生が奥日光の探索をする際などに立ち寄る山小屋で、ご夫妻は日光を訪れるたびに立ち寄られるそうです。'63年、美智子さまが流産された際、体調を心配された上皇さまがお連れになったこともありました。おふたりにとって忘れられない場所なのでしょう」(前出・皇室ジャーナリスト、以下同)

 ご夫妻はその足で奥日光へ赴かれた。

「上皇さまは終戦の直前、戦局の悪化のため、田母沢御用邸から、奥日光湯元の南間ホテルへと滞在先を移られました。上皇さまはそこで終戦の玉音放送をお聞きになられたのです。現在、南間ホテルは廃業となり、跡地には別のホテルが建てられています。おふたりは、その付近の2か所を訪問されました」

 まず、奥日光の自然に関する案内や展示を行う、日光湯元ビジターセンターをご訪問。職員から30分ほど説明を受けられた後、湯ノ湖を散策された。

'44年、疎開先の田母沢御用邸で体操をされる学習院初等科時代の上皇さま。同地には1年4か月滞在
'44年、疎開先の田母沢御用邸で体操をされる学習院初等科時代の上皇さま。同地には1年4か月滞在
【写真】大学時代の美しい美智子さま

「上皇さまが疎開中に滞在された南間ホテルは、湯ノ湖のほとりにありました。当時、学習院初等科の制服をお召しになった上皇さまが、ご学友と湖畔の周辺を散策するお姿がたびたび見かけられたそうです。おふたりは湯ノ湖に20分ほど滞在した後、午後5時ごろホテルへとお戻りになられました」

 湯ノ湖周辺では、ご夫妻の姿をひと目見ようと、大勢の人が列をなしたという。たまたま観光に訪れていた女性はこう振り返る。

「おふたりは、奉迎に集まった人が手をふっていることに気がつくと、何度も手をふり返してくださり、大変感激しました! ただ、美智子さまは上皇さまと手をつなぎ、反対の手ではハンドバッグをお持ちになっていたので、うまくお手ふりができなかったようで……。

 笑顔の反面、“きちんと手をふり返せずごめんなさい”といった、困ったような表情をしていらっしゃいました。そのためか、上皇さまが車に乗り込まれてから、美智子さまはわざわざ私たちを振り返って、バッグを持っていないほうの手で、あらためてお手ふりをしてくださったんです」