入院中お世話になったという東京大学医学部附属病院の中川恵一先生(右)と病室にて(橋爪淳さん提供)
入院中お世話になったという東京大学医学部附属病院の中川恵一先生(右)と病室にて(橋爪淳さん提供)
【写真】体調が悪いときに撮影現場で支えてくれた共演者の町田啓太との2ショット

 内視鏡検査を受けるも、病状は深刻だった。

「内視鏡が大腸の中に入っていかないと言われて……」

もう少しで人工肛門になるところだった

 大腸がんと診断される。かねて懇意にしていた東京大学医学部附属病院の中川恵一医師に相談し、即入院。がんは5cmにまで成長していた。医師によると、20~30年かけて育ってきたものだという。

「ギリギリのタイミングでした。中川先生にも、よくここまで育てたものだねと言われて。あともう少しで人工肛門になるところだったそうです」

 もともと大の病院嫌い。父は60歳のとき胆管がんで亡くなり、母もまた大腸がんを患ったことがあった。がんは身近にあったが、長らく病院を避けてきた。だが実は心あたりがあったそう。

「10年くらい前に便の検査で陽性になったことがあって、詳しい検査をしろと言われてはいたけれど、痔だと自分に言い聞かせて検査を受けてこなかったんです。今考えるともう本当にバカなことをしていたなって思うんですけど」

 手術は今年2月下旬で、7時間かけての大手術となった。

「腹腔鏡手術で4か所お腹に穴をあけました。ただ5cmのがんを摘出するには、大腸を20cm切らなければいけない。そのためおへその下を5cmほど切っています。あと大腸の裏のリンパ節に転移している可能性があるといわれていて、実際手術で40個取ったうち2個にがんが見つかっています」

 手術は無事成功。しかしひどいめまいと幻視に悩まされ、感慨に浸っている暇はない。

「目を閉じていると、幻視でロボットのようなものが見えたり、花がたくさん見えたりする。だからといって目を開ければ世界がぐるぐるずっと回っていて、天地がひっくり返ったような状態です。手術後3日間はもう地獄でした」

 励みになったのが医師や看護師の支え。彼らの献身的な姿勢に胸を打たれたと話す。

「恐怖心を包み隠さず先生に話していたら、大丈夫ですよと言って、手術のとき先生が手を握ってくれて。看護師さんたちも本当によくしてくれて、前向きになれた。彼らの献身にもう何度泣かされたかわかりません」

 1か月余りの入院生活を経て、3月に退院。3月31日放送の『光る君へ』第13話で息子・公任のセリフにより頼忠の死が明らかにされると、自身のがん公表に踏み切った。

がんは男性の3人に2人、女性の3人に1人がなる病気。でも早期発見すれば治る可能性は高くなる。私のように怖がったり忙しさを理由に検査をしない人を少しでも減らしたいという思いがありました」

 入院・手術を経て、体重はマイナス15kgまで激減。体力を取り戻すべく、退院後はまずリハビリに打ち込んだ。

「退院してから1か月は信号と信号の間を歩くのも必死でした。まずは信号1つ、その次は2つと、少しずつのばしていって。今は意識して食べるようにしています。体重も少し増えて、4kgくらいは戻ったかな」

 現在は2週間に一度のペースで通院し、血液検査と抗がん剤治療を継続している。

 体調も回復し、4月初めに自身が講師を務める「非・演技塾」で現場に復帰。秋には舞台出演も控えている。

 大病を乗り越え、意識が大きく変わったと語る。

「運命論者じゃないけれど、がんになったらそれが自分の寿命だと思っていたんです。だけどいろいろなタイミングが重なり、あれよあれよという間に手術ができた。60歳を過ぎて、今新たに命をいただいたんだと実感しています」