たった1人の味方“ばあちゃん”の存在

幼少期の歌川さん(左)を救った、たった1人の味方“ばあちゃん”と
幼少期の歌川さん(左)を救った、たった1人の味方“ばあちゃん”と
【写真】25年連れ添うパートナーのツレちゃんとのツーショット

 学校にも自宅にも居場所がない日々。そんな中でも生きられたのは、“ばあちゃん”のおかげだった。ばあちゃんとは、歌川さんが生まれる前から工場で働いていた年配の女性。

 母の虐待に気づき、「ばあちゃんが工場にいる間は、ばあちゃんのそばにいなさい」と守ってくれたり、歌川さんが描いた絵やお話を絵本のように綴じて「すごく上手だよ」とほめてくれたという。太っていることをクラスメートや担任に揶揄され傷ついた日に、「お砂糖をちょっとだけにしといたから太らないよ」と、蒸しパンを作ってくれたことも。血はつながっていないが、本当の孫のように可愛がり、愛情を注いでくれた。

「当時、僕がなよなよしているから、“オトコ女”って言われていじめられてたんです。先生からも“空手でも習え”“そんな話し方だからいじめられるんだ、男らしくしろ”と言われてた。だけど、ばあちゃんだけは、“ばあちゃんだって男みたいだよ”と言ってくれて。今でこそジェンダーフリーとか、そういうことが当たり前になってきたけど、ばあちゃんはその、はるか前からそういう考え方でした。男だからって外で遊ぶのが当然じゃないし、乱暴にしなきゃいけないわけじゃないんだよ、って」(歌川さん)

 その言葉は、歌川少年にとって大きな支えとなっただろう。だが、別れがやってきてしまう。11歳のとき、両親が離婚。歌川さんは姉とともに母に連れられ工場を去ることになる。家を出ていく日、ばあちゃんは「たいちゃんには、ばあちゃんがいるんだからね」と目を真っ赤にして言ってくれたが、再会までには長い道のりが続くこととなる。

いじめ、虐待、退学、家出先にある希望ー

歌川さんはアルバムから母の写真を見せてくれた
歌川さんはアルバムから母の写真を見せてくれた

 引っ越した先で、母は飲食店を始める。母の美貌が男性客を引きつけ、店は繁盛。だが虐待は続き、男性関係で不安定になったり荒んだりすると、言葉や暴力で歌川さんを傷つけていた。また、中学、高校でも続くいじめ。17歳のある日、ついにキレてしまった歌川さんは校内で暴れ、警察沙汰になってしまう。学校から自主退学を迫られ、高校を中退。その数日後、家出を決行する─。

「母の店を手伝っていたんですけど、不景気で、その日はお客さんが全然来なくて。母に“あんたのせいだ”と言われて、“冗談じゃないよ、こんなに一生懸命手伝ってるのに”って返したら逆上されて、ぶつかり合ってしまったんです。分が悪くなった母が出ていったので、その間に荷物をまとめてレジから“給料分です”と思いながらお金を取って、家を出ちゃいました」

 いつかは出ると思ってはいたが、こんな形は想定していなかった、突発的な家出。準備も何もしていない状態だったが、アルバイト誌を買って、まずは仕事探し。これまで家庭や学校で否定され続けてきたため、「“こんなブタを雇ってくれるところなんかあるのか”と、全部自信がなかったけれど、食肉市場の募集記事を見て、ここはいけるんじゃないかと」。

 年齢を偽り、なんとか潜り込んだ初めての職場。周りは集団就職で東京に出てきた人たちで、みんなが歌川さんを可愛がってくれた。当初、寝泊まりしていたのはサウナや新宿2丁目界隈の発展場。それまで、ゲイだからどこにも居場所がないと思っていたが、2丁目に巡り合い、居場所があると初めて思えたという。

「その当時、お風呂屋さんに行くと、胸があって下はついている人とかが男湯に来ていて。でも誰も気にしないんです。どんな事情がある人でも、新宿には居場所がある。そんな空気がすごく好きで、今でも新宿に住んでるんですよ」