「三姉妹の末っ子の貴子ちゃんのことは“何事もヤル気マンマンなのよ”と言っていました。貴子ちゃんはすごくいい子でね、面倒見がいいの。彼女が6年生のときにウチの1年生だった息子のことを弟のようにかわいがってくれたのよ」(世田谷の実家近くに住む女性、以下同)
今も膳場は、たまに実家を訪れることがあるようだ。
「お母さんは80代だけれども元気なので、お世話しているわけではないんです。いつも元気に買い物へ行ったりしていますよ。実家には貴子ちゃんの姉にあたる次女夫婦も住んでいます。次女も同じく東大出で、今は早稲田大学の教授をしています。長女はピアニストで、実家には住んでいません。長女は若くしてスペイン人の音楽家と結婚したので、日本にはめったに帰らないみたい。ただ、今でも実家には大きなグランドピアノがあるそうです」
《長いビジョンで物事を見る》
大地主の家に育ち、仕事は順風満帆。ただ、プライベートについては謎が多い。
「膳場アナは、自分のことはあまり話したがりませんね。学生のころにダンスをやっていたとは言っていましたが、理由は“成長期だから身体を動かさなければいけないという義務感”。きまじめなタイプなのは間違いありません。ただ、ロックバンドの『筋肉少女帯』の追っかけをやっていたことがあるそうで、ボーカルの大槻ケンヂさんは過激な歌詞で有名ですから、ちょっと意外ですよね」(前出・スポーツ紙記者)
膳場がアナウンサーとしてキャリアを積むことができたのは、もともと明確なビジョンを描いていたから。2002年のインタビューで“ステップアップのコツ”として3つの項目を挙げていた。
《目先にとらわれないで、長いビジョンで物事を見る》
《女性らしさを仕事に生かす工夫をするべし》
《急なステップアップは無理。経験値を高めて》
「アナウンサーになると決めたのは、女性であることがマイナスにならないからだと語っていました。取材対象にじっくりインタビューできるようになりたいという目標を立て、長いスパンで人生設計を考えていたんです。コツコツと実績を積み上げて、たどり着いた今の状況は、膳場アナの思い描いていたとおりなのではないでしょうか」(前出・スポーツ紙記者)
大先輩の関口が築き上げた番組を引き継ぐのは大変だけど、やりがいのある仕事。“朝の顔”として、輝いて!