目次
Page 1
ー 戦前は恐れられていた結核
Page 2
ー アメリカの占領下にあった日本
Page 3
ー アメリカ人の善意で支えられた

 

 佳子さまの母親で結核予防会総裁を務める秋篠宮妃紀子さまは2024年4月30日、結核治療と関係の深い東京都清瀬市を訪れた。1931年10月、同市に結核専門「東京府立清瀬病院」が開設され、それ以降、周辺に次々と結核療養所などが建てられた。

戦前は恐れられていた結核

「第14回東京国際キルトフェスティバル」を視察する紀子さまと佳子さま。佳子さまは幼少のころから手芸が得意(2015年1月22日)
「第14回東京国際キルトフェスティバル」を視察する紀子さまと佳子さま。佳子さまは幼少のころから手芸が得意(2015年1月22日)

 結核は現在、薬や高度な外科手術で治る病気となったが、それまでは、きれいな空気の中で安静にし、栄養をとって体力をつけるという療養重視の時代が長く続いた。また、戦前は結核の死亡率が高く、恐れられていた。

 報道によると、清瀬市郷土博物館を訪問した紀子さまは、清瀬病院の跡地から出土した医療器具や患者が使用した歯ブラシなどの日用品を見学したという。この後、中央公園にある清瀬病院記念碑を視察した。石碑には《ここに清瀬病院ありき》と、彫られている。関係者が、案内板に書かれた清瀬の結核史などを説明した。

 その後、紀子さまは結核関連施設の広大な跡地を2時間以上かけて散策し、熱心に視察した。清瀬に残る結核の足跡をじっくりたどった紀子さま「たくさんの学びがありました」と、感想を述べたという。

 結核予防会の機関誌『複十字』に、評論家の犬養道子さんと結核について興味深い記事が掲載されている。犬養道子著『アメリカン・アメリカ』と『複十字』の記事を参考にしながらその内容を紹介してみたい。

 犬養さんは、戦前、五・一五事件で暗殺された犬養毅首相の孫で、戦後すぐにアメリカに渡り、その後、ヨーロッパで聖書の勉強を続けた。帰国後、評論家などとして活躍し、60歳前から難民救済活動に積極的に取り組み、96歳で死去。

 1948年、犬養さんは留学先のアメリカで結核を患い、ニューヨークから西海岸のロサンゼルスまで特急列車に乗り、さらに、カリフォルニア州モンロビアにある結核専門病院に入院することになった。特急列車に乗るとすぐ、簡易ベッドに横になった。発熱し咳が激しい。《挫折した留学の夢。砕かれた青春の理想》と、彼女は書いている。