アメリカの占領下にあった日本

清瀬市郷土博物館を訪れた紀子さまは、結核関連の展示物を見学(2024年4月30日)
清瀬市郷土博物館を訪れた紀子さまは、結核関連の展示物を見学(2024年4月30日)
【写真】学生時代の佳子さま、割れた腹筋が見える衣装でダンスを踊ることも

 当時、奨学金留学生に給与される小遣いは月に10ドルで、戦争に敗れ、実質、アメリカの占領下にあった日本からの送金は不可能だったという。体調が悪く、満足に食事もとれない犬養さんを心配した乗務員が事情を尋ねた。彼女は、特急列車の終点ロサンゼルスから、病院のあるモンロビアまでバスで行くと説明した。しかし、乗務員はバスの本数は少ないと顔を曇らせた。

 しばらくして車内放送があった。明朝、終点のロサンゼルスに到着するが、その手前のモンロビアに1分間だけ臨時停車するという案内だった。続けて、この特急列車には病気の治療でモンロビアの病院に入院する日本の女子留学生が乗車している。彼女が、ロサンゼルスからモンロビアまでバスで行くことは難しく、乗務員が相談して本部に連絡し、臨時停車の許可を得た、という内容のアナウンスだった。

《感動のあまりに泣いていた。『ああ、デモクラシイとはこう言うものであったのか(略)これなら敗けても仕方なかった、敗けるのは当然だった…』と思いつつ、いつまでも彼女は涙をふいた》

 と犬養さんは書いている。

 モンロビア駅に臨時停車すると担架が用意されていた。車窓から乗客たちが顔を出し「早くよくなるんだよ」「元気でね」と、彼女を励ました。中には「訪ねて行くよ。さようなら」と言って10ドル札を投げてくれた人もいたという。