いずれも「青い珊瑚礁」が1980年代、日本がバブル景気に沸き、元気だった時代を象徴する曲として取り上げており、冒頭のKBSのニュースでは、「国が豊かで、家族が幸せだった時代、韓国よりも2020年も前に1人当たりの所得が1万ドルを達成した日本は1980年代の高度成長を通して2万ドル、3万ドルというハードルを越えていきました。当時、グローバル半導体市場を席巻していたのは韓国でも台湾でもありませんでした」(7月8日)と解説していた。

大反響に対してミン・ヒジン氏は?

 こんなニクい演出を企画したのは、NewJeansを育てたミン・ヒジンADOR代表だ。もともとSMエンタテインメントでビジュアルディレクターを務め、少女時代にカラフルなスキニージーンズを着せたのもミン代表だ。2019年にはBTSが所属すHYBEにブランド総括として迎えいれられたが、21年にHYBE傘下にレーベル、ADORを設立。NewJeansをプロデュースした。

 ミン代表は今回の「青い珊瑚礁」の反響について、「予想はしていたが、現場で松田聖子の当時の応援のかけ声まで飛び出すなんて本当に驚いた」(韓国経済、7月4日)と話し、この企画が成功した理由を、「東京ドームという大舞台で、予想もしなかった曲に実際に向き合った時のカタルシスはとてつもなくすごいものになると予想しました」(朝鮮日報、7月3日)と語っている。

 ネットではこの驚きの演出に、「(青い珊瑚礁は)日本が全盛期だった時期にヒットした、日本人の自尊心と郷愁に触れる曲。ミン代表はとんでもないチートキー(魔法のトリック)だ」「韓国ではアイドル文化の胎動であり輝かしいY2K時の思い出を洗練させた形にしてアピールし、日本ではもっとも輝いていたバブル時代最高の歌手、松田聖子の『青い珊瑚礁』なんて。感性がすごすぎる」などミン代表に感嘆するようなコメントがずらりと並んだ。

「青い珊瑚礁」シンドロームは、K-POPにまた新たなシーンを描いた、エポックメイキングな出来事となった。


菅野 朋子(かんの ともこ)Tomoko Kanno
ノンフィクションライター
1963年生まれ。中央大学卒業。出版社勤務、『週刊文春』の記者を経て、現在フリー。ソウル在住。主な著書に『好きになってはいけない国』(文藝春秋)、『韓国窃盗ビジネスを追え』(新潮社)がある。