テレビ局に責任を問う意見
さらに、その心配は意味や責任を問う方向にも飛び火した。
《テレビ局って人が亡くならないと変わらない、変えようとしない》
《いったいこのマラソンになんの意味があるんだ? サポートする人も大変だし、サポートする人は、何かあったら対応するんだよね?何かあってからでは遅いんだよ》
《ランナーにタレントを使うのもいいけど、一緒に日テレの幹部も走ったら?》
《日テレの社長が走ればいい。謝罪の意味と今までタレントにこんな酷いことをさせていたと実感してもらう意味で》
たしかに酷暑の中でのマラソン、想像しただけで地獄である。「このような強い言葉がストレートに投げられてしまうのは致し方ない」と眉をひそめがら話すのは、元テレビ局員の男性だ。
「テレビ番組には、特に『24時間テレビ』には慣例、伝統というものが蔓延っています。意味なき遂行コンテンツは番組企画としてよくありました。上層部のトップが“酷暑だからやめよう“というのは簡単ですが、そのマラソン中止を最初に言った人の責任問題になるから言えないんです。誰も責任を負いたくないんです。
正直、走った人に何か重大な事故が起きて誰もが納得する形となれば“酷暑マラソン“は即刻中止ですよ。それまでは、ネットで巻き起こる心配や否定の意見は無視、むしろ逆にPRになっているので制作側はラッキーぐらいにも思っています」
《意味のないマラソンはもうやめた方がいい。無理矢理感動しろみたいな作り方、これがまた下手なんだよね》という厳しめ声もあるが、物議多数のコンテンツを推し進める意味はいったいどこにあるのか。やす子ひとりが背負う問題ではなさそうだがーー。