上皇さまが心配する過去の歴史

私がむしろ心配なのは、次第に過去の歴史が忘れられていくのではないかということです。昭和の時代は、非常に厳しい状況の下で始まりました。昭和3年、昭和天皇の即位の礼が行われる前に起こったのが、張作霖爆殺事件でしたし、3年後には満州事変が起こり、先の大戦に至るまでの道のりが始まりました。

 第1次世界大戦のベルダンの古戦場を訪れ、戦場の悲惨な光景に接して平和の大切さを肝に銘じられた昭和天皇にとって誠に不本意な歴史であったのではないかと察しております。昭和の60有余年は私どもにさまざまな教訓を与えてくれます。過去の歴史的事実を十分に知って未来に備えることが大切と思います。(略)いつの時代にも、心配や不安はありますが、若い人々の息吹をうれしく感じつつ、これからの日本を見守っていきたいと思います」

 2009年11月6日、即位20年に際しての記者会見で「両陛下は、日本の将来に何かご心配をお持ちでしょうか」と聞かれた上皇さまは前述のように答え、戦争の記憶が風化されつつある現状に警鐘を鳴らした。

 上皇ご夫妻の孫世代に当たる佳子さまたちは、悲惨な戦争についてどう考え、祖父母たちの思いをどのように受け継いでいくのだろうか。一つのヒントがある。

 2007年11月22日、42歳の誕生日を前にした記者会見で秋篠宮さまは、祖父母と佳子さまたちの交流の様子に触れ、戦争体験の継承について、次のように答えている。当時、佳子さまは学習院女子中等科1年生だった。

 戦前、政府の国策で旧満州(現在の中国東北部)などに農業移民として約27万人が移住したという。終戦直前の1945年8月9日、ソ連軍が侵攻するなどして、約8万人が亡くなったとされる悲劇がある。

「もう一つ前の世代と触れるということは、娘たちにとってもそれだけより多くのことを知る機会になっているように思います。親が経験してないけれども、もう一つ前の両陛下の世代が経験したことを話していただけるわけですね。

(略)那須の御用邸に行ったときに、両陛下が満蒙開拓に行った人たちが戻ってきて、那須の原野を切り開いて、そこに千振の開拓地を造っておられたところを視察されたんですけど、そのときに上の娘も一緒に連れて行っていただいたんですね、私も行きましたけれども。

 そういうこともやはり(略)、親よりも一つ前の世代の経験というのを知らせておきたいというお気持ちからだったのではないかというふうに私は思います」