幼いとき、父親に連れられて行った警察署の柔道場から角田の金メダリストへの道はスタートした。しかし、大好きだったはずの柔道が、嫌いになりかけていた。

「頑張ったけど結果が出ず、もう限界だと本人は思っていたようです。なぜケーキ屋さんかというと、角田のお父さんが自宅でよくケーキを作ってくれていたそう。学校にも持ってきて、それを食べた部員たちが“美味しい!”と騒いでいました。そういった影響があったのだと思います」

柔道強豪校ではない大学に進学したワケ

 そんなとき、東京学芸大学から推薦の話があり、石渡さんは角田に伝えた。

「すると“行く”と言うんです。学芸大は、他の強豪校と比べると、柔道部のレベルはまだまだこれから。練習もそこまでハードではなく、強くなれる環境があるのか私も疑問でした。ただ、角田が柔道を続けてくれるなら……そう思って送り出しました」

 石渡さんは、角田が柔道と触れ合える場所に居続けることが大切だと考えた。そして、この“策”が吉と出る。

「角田は勉強もできて頭もいい。だから、柔道も自分で考えて練習をする子でした。大学では柔道部の監督が型にはめず、自由にやらせてくれたこともプラスに働きました。途中からは“もっと柔道がしたい”という気持ちを抑えられず、他大学へ練習に行くようになったんですよ」

母校八千代高校の横断幕。角田夏実は勝田台中学では敵なしとなり、中3のときすでに出稽古に通ったそう
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 トップクラスの選手へと成長したが、東京五輪への出場を逃すなど、再び苦しい時期が続いた。

柔道をやめようと考えたこともあったようです」

 だが、諦めなかったことで、世界一へと輝いた。

「学芸大に進んでいなかったら、今の角田はなかったと思います。さまざまな出会いが、彼女を金メダルへと導いたのだと思っています」

 角田の頬を伝った涙は、金メダルと同じくらい輝いていた。