立花さんは、抗がん剤治療と放射線治療を受けた後に手術をすることになった。だが、なかなか手術を決断することができなかったと語る。
「お医者様からいろいろな説明を受けて、命が助かるためには摘出手術を受けたほうがいいということはわかっていました。でも、手術をしたら今までのような生活ができなくなるかもと思うと、決心がつかなかったんです」
痛みや現実から逃げたい一心だった
立花さんが親しく付き合っている友人の中には、婦人科の医師がいるそうだ。
「私は長年、子宮内膜増殖症の治療を受けていたのですが、その主治医は友人でもありました。私が手術を決めかねていることを知った彼女に、『いろいろと悩む気持ちはわかるけれど、今は生きるか死ぬかの時だから。立花理佐ではなく、ひとりのお母さんとして考えてみてほしい』と言われたんです」
その言葉で、立花さんの心は大きく動いたという。
「その当時、息子は高校1年生でした。私が母を亡くしたのは27歳のころでしたが、今でも『ママがもっと生きてくれていたらなぁ』って寂しくなることがあるんです。もし、私がいなくなったら10代の息子に同じ思いをさせることになってしまう。彼女の言葉をきっかけに、手術を受けようと思いました」
立花さんは49歳の誕生日(10月19日)翌日に入院し、手術を受けることになった。
「手術は12時間かかったと聞きました。目が覚めた直後から何日間かは痛みがつらく、睡眠薬を飲んでも痛みで眠れないほどで。痛くて痛くて、『もう死にたいです!』と病室で泣き叫んだことも。冷静になると“12時間もかけて手術して命を助けてくれた先生方になんてことを”と思うのですが、その時は痛みや現実から逃げたい一心でした」
入院中にリフレッシュしようと美容系のアイテムをいくつか持っていったが、とても使う余裕はなかったと笑う。そして、術後の身体の痛みは時間とともに薄れていったが、精神面の落ち込みは、その後1年半も続いたという。
「術後の抗がん剤治療の副作用がすごくつらかったんです。冷たいものに敏感になり、外で寒い風にあたるだけで顔が痛くなりましたし、フローリングの床は冷たすぎてとても素足では歩けませんでした。また、顔がむくんだり、シミができたりしたことで『誰にも会いたくない』という気持ちが強くなり、孤独感に苛まれ、うつ病を発症してしまったんです」
それからどのようにして、うつ病を克服したのだろう。
「夫と息子が家事をしてくれたりなど、家族にすごく支えてもらいました。友人たちも明るく接してくれて、食事や飲みに連れ出してくれたことも、ありがたかったです。あとは痛みが徐々に治まってからは友達と早朝ウォーキングを始めて。そしたら、やっぱり代謝がよくなったのかな。シミやしわが薄くなってきたんです。そんな小さな回復の兆しを感じて、少しずつ気分も明るくなっていきました」