「模範的な従業員だった」警備副責任者が大量飲酒して運転

 フランスでは、血中アルコール濃度が100ミリリットルあたり80ミリグラムを超えると重大な飲酒運転となる。事故後の検査で、当時のポール氏の体内からは100ミリリットルあたり175ミリグラムのアルコールが検出されている。

 アルマ橋トンネルは通常の法定速度(約48キロ)で走行した場合でも、10秒ほどで通過できるほど短く、公式には全長153メートルとされている。その短いトンネルのなかに中央分離帯として地面から天井まで太く頑丈な柱が31本連続して並び立つ。この柱が、このトンネル内の車両通行を困難にしている。

 実際にアルマ橋トンネルでは1982年からダイアナ妃の事故が起こるまでの1997年にかけて11人が死亡する交通事故が起きており、事故多発地帯として知られていた。ドライバーたちは、そこを走行するとき、慎重にならざるを得ず、パリの道を熟知していたアンリ・ポール氏も同様であったことは想像に難くない。それにもかかわらず、ポール氏は重度の飲酒状態と時速200キロに達する速度でアルマ橋トンネルに突っ込んでいったとされる。

 アンリ・ポール氏の年間の給与は2万ポンド(約388万円)だったが、その後の調査で彼の持つ13の銀行口座には合計で10万2000ポンド(約1978万円)が残されていたことが分かった。1997年には5回に渡り合計5000ポンド(約97万円)がポール氏の口座に振り込まれていたという報道もある。また事故直後、ポール氏が着用していたスーツの中から現金2000ポンドが警察官によって発見されている。

ダイアナ妃をお出迎えした現在の天皇皇后両陛下(1995年)
ダイアナ妃をお出迎えした現在の天皇皇后両陛下(1995年)
【写真】「このトンネルでなければ助かった」事故が起きたパリのアルマ橋トンネル

事故を映さなかった監視カメラ

 当時、アルマ橋トンネルには14台以上の監視カメラが設置されていたが、8月31日の事故の映像は記録されていなかった。全ての監視カメラが壁側を向いていたためだ。監視カメラがトンネル内に向いたのは、事故翌日9月1日の夜明け、ダイアナ妃の遺体が英国への返還に向けて準備されていたときだった。ちなみに、事故発生から7時間後にパリの清掃局の車両がアルマ橋トンネルに到着し、トンネル内全体に消毒剤を散布したとの目撃情報もある。これが原因かは定かではないが、あれだけ世界中を騒然とさせた事故の現場にもかかわらず、そこには法医学的に根拠となるような証拠がほぼ残されておらず、現場検証は困難を極めた。