生き地獄─。水沢さんと出会うカラオケに行かなければ、きっと今も続いていた。2021年12月に出会った当初を、水沢さんが振り返る。
「しばらくして章吾さんのアパートに伺うと、寒くて30分もいられませんでした。小さな小窓が閉まらないのか、開けっ放しでした」(水沢さん)
残りの人生を一緒に過ごしたいと思った
隙間風が入ろうがどうでもいい。いかに清水さんの心が荒んでいたかが窺い知れる。
「彼女は、散らかっていた部屋を掃除してくれたり、食事を作ってくれたり、僕の生活を立て直してくれた。僕は右足と腰が悪くて、一人で歩くこともままならなかったけど、今は彼女が肩を貸してくれるんです。どん底に落ちて、お金も家もない。でも、この人がいる。残りの人生を一緒に過ごしたいと思ったんです」(清水さん)
水沢さんは、これまで離婚を3度経験。「もう男性はこりごり」。そう思っていたが、
「清水さんと会って気が変わったんです。才能があって歌がうまいのにもったいない。そう感じた私は、『プロデュースさせてください』と彼をスカウトしました」(水沢さん)
取材当日、何度も自殺未遂をした人とは思えないほど、清水さんの調子がいいことが伝わってきた。壮絶な老年期を過ごす清水さんの様子を勝手に懸念していたが、杞憂に過ぎなかった。
「私は毎晩、美容液パックをしているんですが、『清水さんもする?』って聞いたら『お願いします』って言ったのでそれからは一緒に並んでパックをしています。だから清水さん、お肌のツヤがいいんですよ」(水沢さん)
“老いらくの恋”というには、甘酸っぱすぎるかもしれない。それでも、「この人がいたから今の僕はいる」と清水さんは胸を張る。80歳を過ぎても、パートナーと仲よくできる秘訣を清水さんに聞いた。
「いいなと思ったら口に出して褒めること。そして、尊敬することだと思います。いつも彼女が朝早く起きて評判のパン屋さんでパンを買ってきてくれるので、『すごくおいしい』って言葉で伝えるようにしています。それってとても大事なこと。何かをしてくれたら『ありがとう』しかないんですよ。本当に今はそれを痛感していますね」
80歳を記念してリリースした新曲。そのカップリング曲のタイトルを、水沢さんは『愛降る(あいふる)人生~逆転人生』と名づけた。
「まだ生きていられるってことは、僕にはまだやり残したことがあるからなんだと思っています。僕は残りの人生をかけて、彼女と僕の存在を世に知らしめたい。ここから逆転だよ」(清水さん)
そう笑うと、2人は確かめ合うようにうなずいた。
しみず・しょうご 1943年、東京都生まれ。子役として児童劇団を経て芸能界へ。その後、人間国宝・花柳章太郎に師事。’70年代から脇役などで映画やドラマで幅広く活躍。2002年、『アイフル』のCMでチワワのくぅ~ちゃんとの共演が話題となりブレイク。2023年、80歳を記念して水沢巡美とのデュエットCD『すきすき六本木』をリリース。
取材・文/我妻弘崇