入院中、支えとなった妻や家族、芸人仲間
「奥さんは毎日病院に来てずっとそばにいてくれて、僕ひとりだったらもっとつらかったんやろうなと。でも当時は“つらい顔を見せたらダメ”とひとりで家で泣いていたみたいで……ほんまに支えになりました。父は放射線技師なので病気について知識があり、いろいろと教えてくれましたね」
芸人仲間のお見舞いもにぎやかだった。
「相方はなぜか手術の翌日に来たんですよ。人工呼吸器をつけて痛くて死にそうなときに、ラララライのタンクトップ姿で“やあ!”って登場して、家族全員にらんでましたね(笑)。相方もそんな空気じゃないと気づいて、シュンとなってました(笑)。
芸人のお見舞いって笑かしてなんぼというノリなんですけど、アキナの山名が白衣、秋山さんがミニスカナース姿で回診に来てボケ続けたときは、笑うたびに傷口が痛くて。入院がちょっと延びたかもしれません(笑)」
その後もリハビリを続け、12月に退院した。
「痛みがあろうと立って歩くと回復が早いと言われたのですが、最初はベッドのそばで10秒立つのが限界。立っては寝てを繰り返し、1分立てたら今度は病室を歩こう、その次は病棟内をと、お掃除ロボくらいに遅い動きながらやっていましたね。腎臓の出血が止まらず入院は少し長引きましたが、年末には仕事復帰できました」
現在は健康に気遣い、寛解と診断されてからも定期検診を続けている。
「付き合いで外食も多いですけど、おうちでは減塩の食事を奥さんが作ってくれます。以前はストレスで暴飲暴食しがちでしたが、一時期は断酒して、今も量は減っています」
気持ちの上でも大きな変化があったという。
「手術の前夜、もしうまくいかなかったら死ぬかも……と考えたとき、叶わなかった約束がいっぱい思い浮かんだんです。今生きているってすごいことだし、それ以来、社交辞令は絶対にやめようと思って。今度ごはんに行きましょうねという話になったら、スケジュール帳を開いて、すぐに予定を決めるというマイルールができました」
「藤崎マーケット」田崎佑一●1981年生まれ、兵庫県出身のお笑い芸人。2005年に結成した藤崎マーケットのツッコミ担当。2012年に第10回MBS漫才アワード優勝、2014年に第3回ytv漫才新人賞優勝、2017年に第5回MBS歌ネタ王で優勝するなど活躍中。
取材・文/植田沙羅