歌姫・浜崎あゆみとの熱愛で、一躍名前が全国区になった内山麿我。しかし、そんな“逆”シンデレラストーリーは長くは続かなかった。破局後に味わった絶望と屈辱。ダンサーとして頂点を極めた彼が向かった先とは――。
「俺が絶対口説き落としてやるって感じでもなかったんですよ。ツアーで6年も一緒でしたし、バカな弟って感じでしたよね。でも、寂しく思うことが一緒だったりと、急に近くなりましたね。でも、家族を捨ててあゆのところに行くまでに、すごーく葛藤があって……。そのとき浮かんだのは、子どもよりも、彼女の顔かな。実は僕も物心ついたときから父親がいないんですけど、寂しいとかはなかったんですよ。だから、息子も僕のDNAを受け継いでいるから大丈夫かなって。でも、今でも子どもには会ってますよ。ただ、家族に戻ることは1パーセントもないですね」
その後、内山は週刊誌で離婚裁判中であることや浮気相手のモデルとの間に子どもがいることが報じられる。すると、ふたりの関係はあっけなく終わってしまうのだった。
「まあ、1年間はひどいもんでしたよ。こんなに大変なことがあるんだなって。何もかもなくしましたからね。友達から“部屋が空いてるからおいでよ”って言われたんですけど、甘えられないと思って荷物だけ置かせてもらいホームレスもしました。でも、心は死んでなかったので、何とかなると思いましたね」
そんな内山だが、驚くことに現在は和歌山県紀の川市で『まろ農園』を始めている。
「農作物の卸業をやっている方と知り合いなんですが、その方が和歌山で無農薬の野菜作ってる人がいると。その人もスゲーとんがってるから会ってみないかって言われたのがきっかけなんですよ」
月に1、2回は東京から和歌山に行き、農作業をしているとか。6月上旬には、大阪の鶴見緑地公園で自ら先頭に立って、とれたての玉ねぎやじゃがいもの出張販売を行ったという。
「やってみると、農業ってすっごい大変なんですよ。にんじんってまっすぐ垂直に抜かないと折れちゃうんです。それを足場の悪い土の上でやると、足腰がめっちゃしんどいんです。農業の中でダンスの経験が生きていることは、まったくないですね(笑い)。芸能界から離れようと一瞬、考えましたよ。でも、お金のために生きたくなかったんですよ。よく周りの人から、“何がやりたいの”って聞かれるんですけど、うるせーよって感じですよ。農家も歌手も俳優も何もみんなやりたいんですよ。だから、僕の肩書は歌手であり、DJでもあり、作詞、作曲、ダンサー、振り付け、俳優、農家……。うーん、マルチですね(笑い)」
14曲を自ら作詞、作曲したアルバムを制作中だという内山。このインタビューの前日にはジャケット写真を撮り終えたところだという。だが、何をしても彼には“あゆの元カレ”という肩書がついて回る。そう言われ続けることにどう思うのかぶつけてみると、少し考えてからこう話した。
「“あゆの元カレ”と言われるのは、つい最近まであゆに対してすみませんって罪悪感があったんですよ。何とか元カレの冠をはずしたいって思っていたんですけど、今はひとつ乗り越えた感じですね。街中でそう言われても、“あ、そうですよ”って言えますもん。それは、歌や俳優として自信がついてきたからかな」
最後に夢について聞くと、こんな答えが。
「世界平和です! ま、バカですかって、よく言われるんですけどね」