プライベートかお寺か
お寺の生活にはプライバシーがない。お寺は住職一家の所有物ではなく、檀家さんの寄付で建てられ、維持されてきた「みんなの家」。それゆえ、檀家さんはいつでも気軽にふらっと訪ねてくる。
キッチンの料理の匂いも境内に抜けるため、子どものためにクリスマスのチキンを焼くのも居心地が悪そうだったという。
「お寺で育った僕にとっては、プライバシーのない生活が子どものころから当たり前。いつも檀家さんが出入りしていて、夜中でも平気で電話がかかってくる。オン、オフの概念もない。
だから、『一日二日休みがないと精神的にしんどい』とか、『お寺はブラック企業だ』と妻が言うのも理解できないし、どこまで譲歩すればいいのかもわからなかった。譲歩するってことは、詰まるところ、お寺のあり方を変えることになりますから」
プライベートを優先するか、公器としてのみんなのお寺を続けるか。
本堂をクラブスペースにしたDJイベントや、菩薩アイドルのプロデュース、『冥土喫茶』と題したメイドカフェのイベントを開催するなど、新しい仏教のスタイルに果敢に取り組む池口さんの選択は“お寺”だった。
「人として生きる道を説きながら離婚か、みたいな葛藤はありました。どんな顔して説法しようかと。檀家さんも別に何か言ってくるわけではないですが、心の中で『離婚したクセに』とか思われているんじゃないかと悶々(もんもん)としたり。
でも、ギアチェンジじゃないですけど、説得力のある話ができるようにもっていきました。今はもう1周回って、『人間、いろんなことありますよね』と自信を持って言えます。
檀家さんの中で離婚している人も当たり前にいるので、向こうも同じ人間として同じ目線で話してくれるようになりました」