家族と離れた暮らしは、瀬戸にとって自由に羽が伸ばせる環境かと思いきや、
「むしろ身動きがとれない状況でした(苦笑)。加藤コーチの練習は厳しいことで有名で、1日10時間に及ぶことも。体力的にも時間的にも、遊ぶ余裕なんてなかったはずです」(水泳関係者、以下同)
さらに、馬淵の父からの“監視”もあったという。
「馬淵さんの父・崇英さんは、飛び込みのコーチをしています。瀬戸選手が師事していた加藤コーチと崇英さんは、互いにコーチ歴が長く、日本代表の指導経験もあり、馬淵さんが生まれる前からの親友。ですから、瀬戸選手の状況は馬淵さんのお父さんにも“筒抜け”だったのでしょう。そんな状況では、派手に女遊びをするのは難しかったようです」
「金メダルにふさわしい行動を」
加藤コーチも瀬戸のプライベートについて頭を悩ませていたのか、
「瀬戸選手に対して“五輪の神様が見ているから、金メダルにふさわしい行動を”と、暗に女グセをたしなめることもあったそうです」
“不倫包囲網”の中に身を置いて、およそ1年半。2023年秋に瀬戸は加藤コーチのもとを離れ、練習拠点をオーストラリアへ移した。
「瀬戸選手は“集中して練習ができる環境に”と話していましたが、関係者の間では、それは建前だともっぱらの噂です(笑)。加藤コーチのもとだと“監視の目”が常にあるため、女遊びができない環境から逃げ出したかったというのが本音では、と言われています」
再起を目指したパリ五輪でも、メダルなしに終わった瀬戸。2028年のロス五輪でメダルを獲得するには、女性関係を清算する必要があるのかも。