蜷川幸雄さんのオファーで舞台にも復帰
1990年代半ばには、蜷川幸雄さんから、舞台『近松心中物語』の出演依頼があったが断った。
「以前に舞台を逃げ出していましたから、とてもそんな資格はないと思っていました。子どもも中学生と小学生で、地方公演もあるので、2か月近く家を空けなければならないというのもあり、2度断ったんです。そしたら夫が、“こんなチャンスはない。家のこと、子どものことはなんとかするから、やったほうがいい”って。あれから17年たっていましたから“もう時効だよ”とも言われ、お引き受けしました」
そのとき惠子さん、42歳。大役を見事に演じ切り、1997年の初演から2001年まで演じ続けた。以降、次々と舞台のオファーも来て、映画、ドラマと合わせて忙しくなる。
劇作家の田村孝裕さんは、10年ほど前、初めて出演をお願いにいったときのことを話してくれた。
「惠子さんは明治座に出てらして、楽屋に訪ねていったんです。僕たちは名前も知られてない劇団なのに、ストーリーを話したら“面白そうだから、やってみるわ”と即決でした」
それは『そして母はキレイになった』という芝居で、夫と娘を捨てて男と逃げた母が、惠子さんの役。稽古では、監督である田村さんの言葉をスポンジのように吸収し、応えてくれた。
「惠子さんが演じてくれた母親役は、自分の業というか、にじみ出る悲しさが、さすがでした」
公演は好評で各都市で上演したが、自分たちでセットを運びながらの移動だった。
「惠子さんは、セットの搬入や、道具のセッティングを進んでやってくださり、夜は一緒に飲んで、過去のことも話したり。大女優らしいプライドはまったくなく、劇団員みんな惠子さんが大好きになりました。あんなに自分をさらしてくれる女優さんはいない。信頼しています」
同舞台は、再演になり、田村さんは大きな劇場の舞台も、映画やドラマの脚本も書く売れっ子になっていった。2019年の舞台『サザエさん』では、フネ役を惠子さんが演じ、来年は3回目の公演をする予定。
マネージャーの佑奈さんは、女優としての惠子さんをこんなふうに見ている。
「チャレンジしたいタイプ。女優業を長くやっているのに、いい意味でリセットされて、いつも新人さんみたいです。やりたいと思ったら、ギャラに関係なく引き受けます。帝劇のようなところから、小さな駅前劇場まで、劇場の大きさも関係ない」
66歳にしてミュージカルにも挑戦、『HOPE』に主演した。そのときのことを、惠子さんはこう話す。
「歌えるかという不安より先に、やりたいと思ったんです。歌の練習も精いっぱいやって、周りの人もすごく協力してくださって。役をやりきることができました」
それでも、「女優に向いてない、辞めたい」と弱音を吐くこともたまにあるそう。佑奈さんは、
「辞めたいなら辞めれば」
と突き放す。すると「これは私に与えられた仕事だ、感謝しなきゃ」と思い直すそう。
佑奈さん、なかなかの敏腕マネージャーでもある。
年が明けると、惠子さんは70歳になる。
「何歳だからこうでなきゃというのはないし、若くありたい、きれいでいなきゃというのもないです。もうすぐ70歳だなとは思うけど、年は関係ない。最初から15歳らしくなかったし、今は70歳らしくないかな」
なんだか楽しそうだ。