「当初は選手会と球団幹部との話し合いが設けられる予定だったのですが、現場取材にあたっていた記者たちから“球団では埒があかない、オーナーたちと直接話し合いがしたい、と(選手会が言っている)”と、ナベツネさんを少々煽るような伝聞口調での質問もなされたようです」
さも「選手会が生意気なことを言っている」とばかりに伝えられ、これにカチンときてしまたのか、思わず「たかが選手が」と口走ってしまっというわけか。ところが、さすがにマズイと思ったのか、
「たかがといっても、立派な選手も」
【まあ、たかがといっても、立派な選手もいるけどね。それにオーナーと対等に話をするなんて、協約上の根拠は1つもないんだよ】
すぐに選手をフォローしつつ、冷静に話し合いに応じられない根拠を示したという渡辺さん。
「読売新聞社長に就任(1991年)して以降、当時としては珍しく“ぶら下がり(取材)”や自宅での“出待ち”にも応じる、取材を断らない社長で、しかも見出しになるような過激発言も飛び出す。いわば紙面を賑わせてくれる“ご意見番”として、ことあるたびに記者に囲まれていたイメージです。
もちろん、今なら“パワハラ”と取られかねない発言があったのも事実ですが、それこそ今でいう“切り取り”発言も多くあったと思います。それでも自身も記者出身で、最後まで“主筆”を名乗り続けたように、自身の発言には責任を持ち、そして言い訳をしない姿勢は見習うべきところでしたよ」(前出・ライター)
プロ野球の改革と発展に貢献したことは確かだろう。