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ー 斬新な挑戦を続ける

 2024年という一年間の世相を表す漢字として選ばれたのは『金』だった。この年、人生の幕を下ろしたあの人たちにも、金のように輝くエピソードがある。あまたの功績を残した人たちに思いを馳せ、キラキラと輝く逸話を紹介―。

「すべては花嫁のために」

 この言葉を信念に、日本のブライダルファッション文化を切り開いたデザイナーの桂由美さんが、'24年4月26日に94歳で亡くなった

斬新な挑戦を続ける

桂さんは'65年、日本で初となるブライダル専門店を東京・赤坂にオープンさせました。この当時、日本では結婚式でウエディングドレスを着用する花嫁がたったの3%と、洋装での婚礼は一般的ではなかったのです」(ブライダル誌ライター、以下同)

 それでも“婚礼衣装の選択肢を増やしたい”と、桂さんは次々に新しいウエディング様式やドレスを提案した。

次第に、桂さんのドレスは多くの女性たちの憧れの的となり、結婚式では『桂由美』のドレスを着ることがステータスとまでいわれるほどになったのです

 ウエディングドレスのデザイナーとして大成功を収めた桂さんだが、その一歩を踏み出す際は葛藤もあったようだ。

出会った当時、先生はウエディングドレス専門のデザイナーとしてやっていくか、迷っておられました

 こう明かすのは、魅力研究家や美容家として活動するマダム路子さん。桂さんとは60年来の友人だという。

出会った当初、私はまだ20代で、先生は30代。私がヘアメイクとして参加したファッションショーでご一緒したのが最初だと思います。そのころから先生はデザイナーとして活動していましたが、ウエディングドレスが専門ではありませんでした。そこで“本当はウエディングに絞って活動していきたいのだけど、どう思う?”と相談をいただいて。当時、結婚式といえば和装が主流でしたから、斬新な挑戦に“勝ち気な方だな”と感じたのを覚えています」(マダム路子さん、以下同)

マダム路子さん
マダム路子さん

 以降、桂さんが亡くなる直前まで親交は続いた。

「ものすごく頻繁にというわけではありませんが、節目ごとにお会いしていました。最後にお目にかかったのは、亡くなる半年ほど前のことです。先生は、結婚10周年や20周年といった節目に、もう一度結婚式を挙げることを推奨する活動をなさっていて、それに関する講話に呼んでいただきました。先生は花嫁が輝くよう、常に目標をお持ちで、90代になられても精力的に活動なさっていましたから、突然の訃報にはとても驚きましたし、寂しく思います」

 桂さんが立ち上げたブライダルブランド『ユミカツラ』は、訃報を受け、次のような声明を発表している。

《ユミカツラのデザイナーであり、30年以上桂由美の右腕として共にクリエイションをしてきた(中略)クリエイティブチームが、桂由美の想いと遺産が生き続けるよう、後任としてコレクションの制作を託されました》

 次世代へと継承された“ブライダルマザー”の信念は今後も花嫁を輝かせるだろう。