就活に失敗したことで、一度は諦めた「漫画家になる」という夢に再度挑戦することを決めた倉田さん。画力がないことを自覚していたので、少女漫画ではなくギャグ漫画でいこうと戦略を立て、バイトをしながら漫画を描く生活を送った。そして23歳のとき、「講談社ヤングマガジンギャグ大賞」で大賞を受賞し、漫画家デビューを果たす。
「これでもう安泰だと思っていたら甘かったですね。ヤングマガジンでは連載をもらえず、相変わらずバイトをしないと食べていけませんでした。雀荘(じゃんそう)の店員や塾の講師、食品モニターなどをしながら描いているうちに、ポツポツと漫画の仕事が入ってきて。29歳のときに描いた『だめんず・うぉ~か~』でようやく注目されるようになりました」
『だめんず・うぉ~か~』でブレイク。結婚・離婚でシングルマザーに
『だめんず・うぉ~か~』は、ダメな男性(メンズ)=だめんずばかりを好きになってしまう、見る目のない女性の体験談を漫画化した作品だ。登場する男性は、浮気、借金、浪費、虚言、DV、モラハラ、マルチ商法といった問題を抱え、そんな男性を選んでしまう女性の生態も描かれている。
週刊誌『SPA!』(扶桑社)で13年にわたって連載が続き、テレビドラマ化、アニメ化、映画化もされた。
「だめんず」という言葉が一般化し、「くらたま」として倉田さんも一躍有名になるが、ヒットの前後で結婚・離婚を経験している。
「結婚相手は編集者で、付き合っているときは話が合って楽しかったのですが、結婚するとケンカばかり。息子も生まれましたが、一緒にいることに耐えられなくなって1年半で離婚しました。
離婚後は子どもを連れて福岡の実家に戻り、月に数日は東京に出稼ぎに出るという生活。漫画がヒットしたおかげでお金の心配はなかったのが幸いでした」
シングルマザーとして仕事と子育てに奮闘していた倉田さんだが、36歳のときに運命の相手と出会った。友人の小説家・中村うさぎさんから「くらたまが好きそうな男性がいる」と紹介されたのが映画プロデューサーの叶井俊太郎さんだったのだ。中村さんによると、倉田さんのタイプの男性は「ちょいワル系」だそうだ。
「彼とは会ったときから話が尽きず、とにかく楽しかったんです。彼は映画『アメリ』を買いつけたことで有名ですが、本来はホラーコメディーが好きで、邦画では『いかレスラー』や『日本以外全部沈没』などを手がけてきた人です。私と映画や漫画の好みが細部まで同じで、そんな相手に会ったのは初めてでした。
好きなものが似ていると、考え方も近いので、普段からそれほどモメることもないんです。自然とお付き合いが始まりました」