夫が膵臓がんで余命1年、高額の自由診療も試す
幸せだった結婚生活に暗雲が垂れ込めたのは、2022年5月のことだった。
「彼はそれまで持病もなく元気でしたが、あるとき肌がどんどん黄色くなっていって、おかしいなと思いました。受診をすすめたところ、最初の病院の診断は胃炎。
でも胃炎で肌は黄色くならないと思って、別の病院を受診してもらい、胆石や肝炎が疑われました。国立病院で精密検査をすることになり、そこで膵臓に4センチを超える大きさのがんが見つかったんです」
医師からは「悪ければ半年、長くて1年の命です」と告げられた。泣きじゃくる倉田さんとは対照的に、叶井さんは冷静だったという。
「抗がん剤が効いたら手術できる可能性が出てくるかもしれないと言われましたが、それでも5年生存率は2割でした。彼は確率の低い延命治療を拒否し、余命を受け入れ、死ぬまで仕事をする生き方を選んだんです」
このときのやりとりは、叶井さんの最後の著書『エンドロール!』(サイゾー)のあとがきに記されている。
「悲しくないの?」
「悲しくないよ。人間いつか死ぬんだし」
「心残りないの?」
「ないよ。まあ、読んでる漫画の続き読めないのと来年以降の映画観れないのだけ残念だけど、キリないからな」
それでも倉田さんは諦めきれず、自由診療の高額な免疫療法を調べて、試してもらうことにした。
「夫は告げられた余命よりも9か月長く生きることができましたが、免疫療法のおかげかどうかはわかりません。当時は少しでも長く生きられるならと必死でしたが、高額ですし、ほかの人にはおすすめできないですね」
叶井さんは、毎日会社に通って、元気なときと変わらず仕事をしていたが、次第に食べられなくなり、体重は20キロも減った。それでも亡くなる前日まで普通に暮らすことができたという。
「いつものようにおしゃべりして、ごはんを食べて、シャワーを浴びてテレビを見ていたのですが、夜の10時ぐらいになって『先生を呼んで』と言われたんです。血圧が低くなっていて、意識もなくなりました。来てくれた医師からは『夜明けまで持つのは難しいと思います』と言われましたが、朝はちゃんと目を覚まして『俺、昨日ヤバかったよね』と言ったんです。
でも、それから意識が朦朧(もうろう)として、呼吸が弱まってきて、『父ちゃん息して!』と声をかけたのが最後になりました。夫が寝たきりになったのはこの日だけ。夫の希望どおり自宅で看取(みと)ることができたのはよかったです」
叶井さんが亡くなる前に倉田さんへの遺言はあったのだろうか。
「まったくありません(笑)。そういうことをする人ではないんです。あれだけ子煩悩で生きていたのに、娘にも『楽しく生きろ』と伝えただけでした。自分の思うままに、楽しく、やりたいことだけをやってきた夫は、幸せな人生だったと思います」
亡くなってからも叶井さんらしいエピソードがたくさんあるが、遺産の話もそのひとつだ。
「預金通帳の残高は亡くなった月に振り込まれた給料の20万円ちょっとだけ。それ以前のお金は一銭も残っていませんでした(笑)。その20万円も翌月のいろんな請求で消えましたし、治療費も葬儀代も私が出しています。普通の人は妻や娘のためにお金を残そうと思うはずですが、遺産がゼロというのも彼らしいですよね」
今も亡き夫のブログやフェイスブックを読み、思い出を振り返ることが多いという。
「ふっと流れてくる失恋ソングが、どれも夫とのことを歌っているように聞こえてしまって、涙が止まらなくなるんです。夫が亡くなって1年がたとうとするのに、こんなに泣いてばかりいるなんて、私はなんだか大きく変わってしまったなと思います。でも娘は夫に似て、メソメソすることはないのでそこに救われていますね」
倉田さんは叶井さんが余命宣告されてからのエピソードを漫画にし、Amazonで無料公開している。
「彼の考え方、好きなこと、嫌いなこと、大切にしていたものを伝えたい、彼の素晴らしさを知ってほしい、彼のことを忘れてほしくないという思いがあって、泣きながら描いています。思い出すとそばに夫がいないことがつらくなるのですが、私にしか残せない夫のことを伝えておきたいんです」