その後、郷ひろみとは性格が正反対の神田正輝と結婚。ところが子どもが生まれてから、妻の聖子にかまってくれない夫との関係を修復しようとして、引退を考えたことがあったという。

若いころからセルフプロデュース力に優れていた

聖子から一通の手紙が届きました。そこには結婚生活の悩みが綴られていて“歌手をやめたい”とまで書いていたので、急いで聖子の自宅に行き、“これまで応援してくれたファンを見捨ててはダメだ”と説得して何とか翻意させることができました。聖子は結婚してからも変わらずにファンであり続けてくれた女性たちに対する熱量がすごいんですよ

ワールドリリースアルバム『Seiko』。商業的には成功したが、アメリカでの評価は高くなかった
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 結婚しても、スキャンダルがあっても離れずにずっと応援してくれるファンこそ、聖子の大きな原動力のひとつといえる。

その後、聖子は歌手として育てた僕らに何の相談もなく、サンミュージックを辞めて独立します。辞めたその日にソニーを訪ねてきて“辞めちゃったー”と清々しい顔で報告したんですよ

 辞めた理由も聖子らしい。スキャンダルが多いといわれた聖子だが、実は夫の神田にも愛人がいるという噂があり、夫への対抗意識が招いたという。

 だが神田が所属しているプロダクションはマスコミに対する力が大きいため、スキャンダルをもみ消されていた。そのせいで聖子のスキャンダルだけが目立っていたのだ。

「“私だけがレントゲンなの”とサンミュージックから守ってもらえないことに不満そうでした。でもサンミュージックがあってこその松田聖子で、トシちゃん(田原俊彦)とのグリコのCMでブレイクできたのも事務所のおかげ。

 サンミュージックは聖子の移籍を許さず、離れたいのなら独立という選択しか与えなかったんです。当時、独立は男性が多く、女性は少ない中で彼女は“独立する”を選んだのですから、たいしたものです

 独立してもさらなる飛躍を遂げたのは、聖子のセルフプロデュース能力が優れていたからと稲垣さんは指摘する。

「若いころからセルフプロデュース力に優れていましたね、コンサートやステージに対して、こうありたいという提案をして、実際に叶えていく力がありました。ドラマから撤退したのも将来を見据えての決断だったのでしょう

 聖子のセルフプロデュース力は「人の話に耳を傾ける」という姿勢も功を奏していた。

「たとえ自分が興味のない話でも、ちゃんと人の話に向き合っていました。聞き上手で共感力もありましたね」

 さまざまな状況にも臨機応変なスタンスで臨む聖子。'90年代にアメリカ進出をもくろんだときも「もっとスケールを広げたい」という野心があった。

「マライア・キャリーを発掘したレコード会社の重役で、音楽業界の重鎮ともいうべき人物、トミー・モトーラを紹介し、聖子も一生懸命にアピールしたのですが、英語の発音に問題があって。アメリカ人はフランス語訛りの英語以外は許さないという事情もありました。

 それでも諦めがつかない聖子は、デビュー以来所属したCBS・ソニーを離れ、マーキュリー・ミュージックエンターテイメント(現:ユニバーサルミュージック)に移籍。その直前の'95年にイーグルスの『ホテル・カリフォルニア』で有名なビバリーヒルズ・ホテルで2人きりで話し、移籍にあたっての聖子の本心を聞いたのです

 聖子はかねて希望していた海外進出を「再び目指すため」と稲垣さんに伝えてきたという。'90年6月にCBS・ソニーからワールドリリースアルバム『Seiko』を発売したが、満足のいく結果ではなかったのだ。

 だが聖子は意志の強さでこれまで何度も自分の希望を叶えてきた。近年はジャズを中心に、海外を意識した楽曲に取り組んでいるという。

 デビュー45年を迎え、海外進出に対して、再燃の気配がある聖子。それは海外で日本のシティ・ポップが再評価され、聖子の知名度が上がっているという追い風のおかげでもある。

「本当に今でも聖子は海外進出を目指しているのでしょうか。機会があれば、今度じっくり話を聞いてみたいですね」

取材・文/夏目かをる