子どものころは目立ちたがり屋で、小学校では演劇部に入り舞台にも立った。アイドルへの憧れが芽生えたのは、中学生のときのこと。

自分で言うのもなんですけど、中学生のとき、すごくモテたんです。休み時間にベランダに出れば、下からキャーッて女の子たちの歓声が聞こえてくる。家に帰って2階から外を見ると、下から女の子たちが窓を見上げていたりする。“うわ、なんだこれ、めっちゃモテてる!”と思って(笑)

「アイドルを選ばなかっただけエラいなと(笑)」

 当時は郷ひろみ、西城秀樹さん、野口五郎が新御三家と呼ばれ、アイドルとして絶大な人気を博していた時代。3人とは同い年で、彼らの活躍に漠然とした憧憬を抱いていたという。

高校3年生になって、卒業後の進路を決めなければいけなくなったとき、大学へ行って普通に就職をするのは何か違うと思った。そうじゃない人生を選びたいと考えて、“何だろう、アイドル?”と思ったけれど、“いや、違う、違う”と考え直して。“じゃあ、俳優かな”という感じのノリでした。勘違いして、アイドルを選ばなかっただけエラいなと(笑)

 高校卒業後、NHK大阪放送劇団付属研究所に入所。役者の道を歩み始める。

 デビュー後は瞬く間にスターになり、世間の大きな注目を浴びる。そんな姿を夢見ていたが、現実は甘くない。大阪と東京の隔たりもあった。

20代のころ大阪制作の朝ドラにそれなりの役で出たけれど、一切注目されなかった。やっぱり東京じゃないとダメなんですよね。でも劇団『MOTHER』を旗揚げすると、地元ではそれなりに知られるようになって。関西のバラエティー番組や情報番組の司会など、いろいろやらせてもらえるようになりました

 転機は40歳のとき。東京から声がかかり、ドラマ『沙粧妙子-最後の事件-』(フジテレビ系)に出演が決定。主演の浅野温子の恋人で、快楽殺人者役を演じることに。

「初めての東京のドラマで、しかも大きい仕事だったので、やっぱりすごく緊張しました。自分が通用するかどうかわからなかった。そんなとき現場で突然“セリフの変更があります”と言われて、1行のセリフが5行に増えたんです。“東京は怖いな、これが東京の洗礼なのか!”と思いましたね。でも周りは“あんた誰?”みたいな空気がすごかったから、なんとかこれを乗り越えなければいけないと思って……」

 本番で一発OKを出すと、その瞬間、現場の空気が変わった。東京で認められた瞬間だった。

「あのとき、その追加のセリフがなければ、ずっと居心地が悪いままだったかもしれません(笑)」

 と振り返る。

以降、東京に本格進出。シリアスからコミカルまで確かな技量で幅広くこなし、数々の作品でバイプレーヤーとして存在感を発揮してきた。名バイプレーヤーであるために、常に心がけていることがあるという。

バイプレーヤーとして参加しているときは、座長のしたいことを酌みながら、うまく進めていくようにする。その現場にとって、より良いであろう自分の居方があると思っていて。そのために、常に座長の動向を注視するようにしています。

 その人が何をしようとしているのか、何をしたいのか、何を考えているのか。発した言葉に対して、どういう意味なのか考える。それぞれの現場の進め方があるので、空気を見ている感じでしょうか