40年越しの悲願
幼少期をニューヨークで、一度帰国した後、高校と大学時代をボストンで過ごされた雅子さまにとって、アメリカ訪問には特別な思いがおありだろう。
「雅子さまは高校1年生の夏にボストンへ引っ越し、飛び級で州立ハイスクールの2年生に編入しています。地元新聞の成績優秀者の欄に、常に名前が掲載されるほどの秀才で、当時のあだ名は“ブレイン”だったそう。また、勉強だけでなくスポーツも万能だった雅子さまは、学内のソフトボールチームのレギュラーメンバーで、4番バッターとして活躍したそうです」(前出・皇室ジャーナリスト)
雅子さまがボストンで過ごされた約6年間の中で、最も印象的なエピソードについて『皇室の窓』(テレビ東京系)で放送作家を務めるつげのり子さんは、こう振り返る。
「雅子さまはハーバード大学に通われていた際、独自に日本文化クラブを立ち上げておられます。『さくら』などの日本の名曲をピアノで演奏されたり、海苔巻きを振る舞われたりと、日本文化を紹介する活動をなさっていました。
これには、お母さまである優美子さんの“自国の文化を知らずに外国で暮らすと、根無し草になってしまう”というお考えが影響しているのだと思います。雅子さまは、学生のころから自国の文化の発信をアイデンティティーとしておられたのでしょう」
雅子さまにとってアメリカは、考え方や価値観を形成した大切な場所といえるだろう。しかし、意外にも皇室に入られてからは一度も足を運ばれていない。
「陛下も雅子さまも、アメリカから正式に招かれての訪問は一度もありませんから、もし公式訪問が実現すれば、おふたりにとって初のことです。さらに、少なくともご結婚以降は、私的なご旅行でもアメリカへは訪問されていない雅子さまにとって、訪米は約40年越しの悲願といえます」(前出・皇室ジャーナリスト)