スターというより根っからの“付き人体質”

映画の収録中にサーフィンで日焼けして「つながらないだろう」と、勝新太郎さんに怒られたことも
映画の収録中にサーフィンで日焼けして「つながらないだろう」と、勝新太郎さんに怒られたことも
【写真】俳優・池畑慎之介が誕生するきっかけになった黒澤明監督とのツーショット

 年齢不詳で独特の美しさを持つ慎之介。その若さの秘訣について、コシノジュンコは、こう話す。

「好奇心のある人は、年齢や性別に関係なく元気なのよ」

 確かにゴルフに麻雀、サーフィンに旅と、好奇心旺盛な慎之介は底知れぬバイタリティーの持ち主。そして稀有なサービス精神の持ち主でもある。'00年代に入って、父から相続した東京・高輪の稽古場を改築して開くようになった「高輪会」。そこには俳優、タレント、歌手に芸人、スポーツ選手、作家が集結。まさに21世紀を代表する社交場といえる場所だった。

「友達が友達を呼び、倍々ゲームでゲストが増えていき、延べ80人くらい集まることもありました。特番が2本くらいは作れたかもしれませんね。

「高輪会」では夕方から夜中まで入れ替わり立ち替わりゲストが集まってくる。彼らをもてなすため、慎之介は朝から買い出しに行き、大皿料理を10皿以上用意して、お酒を振る舞った。

「私は来た人に“おいしい”“ありがとう”と言われるのが何よりも好き。誰かにもてなしてもらうより、人の世話をして喜んでもらいたい。根っからの“付き人体質”なんです」

家族ぐるみの付き合いをしている北原照久さんたちと
家族ぐるみの付き合いをしている北原照久さんたちと

 番組での共演がきっかけで、「高輪会」に出席。今では家族ぐるみの付き合いをしている『ブリキのおもちゃ博物館』の館長で、鑑定士でもある北原照久さんは慎之介の魅力について、

「一番の魅力は、人に気を使わせずに楽しませるところ。この4年間、正月はいつも一緒に過ごしています」

 と言えば妻の旬子さんは、

「食べさせることが大好きで、一緒にいるといつも2、3キロ太っちゃう。煮物も上手だけど、ハワイでごちそうになったかたいお肉を1日半かけてオリーブオイルとガーリックに漬けて、やわらかくして焼いてくれたステーキが忘れられません」

 そんな慎之介だが、決してひとりになるのが嫌いなわけではない。好きなときに自分のタイミングで食事も食べられるし、何日も誰ともしゃべらなくても苦にならない。

 キャンピングカーで桜前線を追いかけ、ひとり旅に出たこともある。まさに、

「おひとりさまの達人」

 でもあるわけだ。以前は高輪、熱海、福岡県の糸島、横須賀市の秋谷、そしてハワイに家を持ち、思い立ったら飛行機で飛び回っていたこともある。

 そんな生活もデビュー50周年あたりから断捨離を進め、今は海を見下ろす湘南佐島と熱海だけ。しかし引退を考えたわけではない。70歳を超えてからYouTubeを始め、SNSを使った配信活動も積極的に行っている。そんな中、慎之介は、改めて舞台への思いを口にする。

「男性遍歴を繰り返し、母性を持たない母親(慎之介)と娘(高橋惠子)の物語『香華』('13年)以来、舞台に立っていません。もし機会があれば、同じ有吉佐和子さん原作の物語『華岡青洲の妻』を舞台で演じてみたい」

 と語れば、慎之介をリスペクトするミッツ・マングローブは、

「初期のオリジナル曲には『夜と朝〜』以外にも『愛の美学』や『人間狩り』など素敵な歌がいっぱいあります。デビュー60周年には、当時の名曲の数々をライブで披露してほしい。もし形見分けしてくれるなら、しっかり受け継いでいきます」

 慎之介は今も'98年に急逝した父のことを思い出す。天才の名をほしいままにした舞踊家・吉村雄輝。袴をつけない着流し姿の舞いが、目を閉じれば今も鮮やかに蘇る。

 そんな父も晩年、慎之介の舞台を見にくるようになった。

 楽屋をそっと覗き、ほかの誰も気づかなかった所作のダメ出しをしてくれた。

「あんたはええな。日本のもんだけでのうて西洋のもんもでけて」

 父のその声が時折、波の音と共に心に蘇る。厳しかった父が残した言葉を胸に抱きながら、新たな“ステージ”を慎之介は目指していく─。

<取材・文/島 右近>

しま・うこん 放送作家、映像プロデューサー。文化・スポーツをはじめ幅広いジャンルで取材、執筆。ドキュメンタリー番組に携わるうちに歴史に興味を抱き、『家康は関ヶ原で死んでいた』を上梓。現在、忍者に関する書籍を執筆中。