《5年前の、あの騒動のときも、家族は私の気持ちなんて、結局、何もわかってくれなかった。事務所の言う事は信じても、私を信じてはくれなかったんです》
これは雑誌『マルコポーロ』1995年1月号に掲載された明菜のインタビューだ。
1995年の5年前というと、当時・恋人であった近藤真彦の自宅で起こした自殺未遂騒動のことを指しているのだろう。
2024年12月に亡くなった父・明男さん(享年90)は、かつて『週刊女性』の取材に応じて、明菜を心配する発言をしていた。しかし、内情をメディアに明かす実父に、明菜としては“裏切られた”との思いを持ったのか。
お金を持ち逃げしたマネージャーが…
インタビューは、こう続く。
《昔、長女の姉とか、次男とか、父親にお店を出してあげたんです。でも、自分が苦労して出したお店じゃないから、すぐ潰しちゃう。
(中略)そんな一方、家族は私にナイショで事務所から毎月おカネをもらっていたりした。変な話だけど、事務所と家族はどんどん絆が強くなってゆくのに、私と家族の気持ちは離れてゆく一方だったんです》
明菜は、飲食店の開店資金を出したと主張したうえで、すぐに閉店させた家族について不満を持っていた。確かに、父親たちが開いた店は、ほどなく閉店している。
実兄は否定しているが、明菜は自分が稼いだお金を使われたと思っていたようだ。なにより、当時の所属事務所との結びつきについても疑問を感じていたという。
この違和感について、実兄は『週刊女性』にこう証言していた。
「当時の事務所に聞いた話だと、最初のマネージャーが明菜のお金を持ち逃げしたそうなんですが、それを“家族が使い込んだ”と明菜に吹き込んでいたというんです」
中森家ではない第三者が、明菜と家族の関係を壊したのだろうか――。
明菜は、前述のインタビューで家族について、こんな思いも語っていた。
《家族って他人じゃないから余計に困るんですよね。たとえば恋愛なら、たかが……って自分に言い聞かせられるじゃないですか。相手はしょせん他人なんだから、仕様がないじゃない、そう割り切れるでしょう。
でも、血が繋がってると、どんなにわかってくれなくても、捨てようと思っても捨てられないんですよね》
中森家と縁を切ったうえで、新たに養子縁組をした明菜。彼女にとって、本当に求めている家族とは――。