日本のメディアが醸造した日枝イメージ。そこに新たに加わった“独裁者”としての認定。物言う株主は、日枝イメージをさらに悪化させるためか、巨大メディアを40年も支配した、と断定した。その文面に悪意はないだろうか。なぜなら、社長や会長として経営に携わった期間でさえ、独裁期間として勘定しているからだ。独裁者になったのは、ぜめて相談役になって以降としないと、矛盾が生じる。
ラスボス、ヒール、独裁者
進退を連日取りざたされる日枝相談役だが、本人は共同通信の取材を受け「人事は会社が決めること」と答えた。
それを自らの辞任することを拒絶したと受け止めることもできるが、至極まともなことを言っているだけ、と受け止めることもできる。
「自分に対するイエスマンだけが出世している面があるため、日枝さんの首に鈴をつけられる役員はどこにもいません。最後の最後、日枝さん自身が、世論のフラストレーションがピークに達した頃合いを見計らって、会見し、辞任を発表する。その瞬間、世論の風向きが変わり、スポンサーにとってもCM出稿のきっかけになる。そのようなシナリオをさらに効果的に演出するためには、自らの評判が下がることは計算済みだと思いますよ。
日枝さんはその昔、絶対的経営者に対し、生きるか死ぬかのクー・デターを仕掛けた闘志ですよ。ちょっとやそっとの圧力で弱ることはない。最後は自分の判断で、自らを決すると思いますよ」
「ラスボス日枝」「ヒール日枝」「独裁者日枝」。そう例えられる人物が退いたとき、世論は留飲を下げ、一挙にフジテレビの視界は見通せるようになる。最後の最後に至るまで、フジテレビをよみがえらせることができるのは日枝相談役だけ、という図式が出来上がりつつある。
皮肉なものだ。