エイジェックでは選手兼監督を務めた。女子野球の発展に力を注ぎ、同時に一つの思いを抱え続けていた。
「ケガで終わった、やり切れなかったという心残りがあった。けじめとして最後に男子にナックルを投げようと──」
アメリカでメジャーに挑戦する。31歳になっていた。
現地ではウェイクフィールド選手と念願の再会を叶えている。13年ぶりの対面に涙が止まらなかったと話す。
「自分の中では締めくくりのつもりでアメリカに行ったんですけど……。ウェイクフィールドさんに『Keep going(続けて)』と、『ナックルを伝えてほしい』と言われて」
再会の翌月、ウェイクフィールド選手は病のためこの世を去り、それは忘れられない記憶となった。
女子野球の発展に全力で取り組む
昨年末、エイジェックを退団。地元神奈川に戻り、兄が立ち上げた「tsuzuki BASE」に参画している。現在は野球塾の指導や女子選手向けのグッズ開発と多忙な日々を送る。
「今は女子の野球人口がすごく増えてます。でも神奈川は女子チームがなくて。今回神奈川に戻った一番の理由はそれで、地元への恩返しも含め、女子野球チームをつくれないか模索しています」
目指すは女子野球の発展だ。ウェイクフィールド選手の言葉を胸に、ナックルを次に伝える。第2の吉田えりが誕生する日も遠くないのでは?
「本当にそうなったらいいですね!女子選手がもっと増えてほしい。それでナックルを投げる子がもっともっと増えたらなって思っています」
取材・文/小野寺悦子