暗黒の新入社員時代
1994年、大学を卒業した垣花はニッポン放送へアナウンサーとして入社する。垣花と同期入社のイイジマさんは「垣花の入社式での挨拶がとても素晴らしくて、同期の僕らはもちろん、人事の人も感心するほどでした」と語る。
ところが入社後、これまでの方法論がまったく通用せず、大きな壁にぶち当たることになる。
「大学合格あたりから入社ぐらいまでは結構ノリノリで、完全に天狗野郎なんですよ。狙ったとおりアナウンサーになって意気揚々とニッポン放送に入ったんですけど、自分がやってたことは友達の前でただふざけていただけだったことに気づかされるんです」
新人研修では沖縄のアクセントが抜けず、ニュース原稿もうまく読めなくて叱られてばかりだった。
「同期の川野良子アナは最初からニュースは読めるし、滑舌いいし、社会人としてちゃんとしていて。それを見て『優等生が!』と思ってましたが……自分がダメなだけでした(笑)」
ニュースが読めないなら、と入社後半年で任された『オールナイトニッポン』では、ろくにしゃべれず、聴取率調査では測定不能(誰も聴いていない)となってしまう。
「話すネタがないので、ディレクターからネタを作ってこいと言われて、仕事に遅刻したこととか、ギャンブルや夜の街での失敗談を話したりして。それくらいしかウケないんですよ」
垣花はこのころから競馬にハマり始めた。
「『日曜競馬ニッポン』という番組があったので、自分も買ってみようかなと思ったらいきなり万馬券を当ててしまって。『こんな楽勝な世界があるんだ』って。仕事がうまくいかないストレスもあって、もう、そこから泥沼。借金生活の始まりです」

『オールナイトニッポン』の担当は1年で終了。その後、新番組『ゲルゲットショッキングセンター』でモヒカンにサングラス姿となって“LFクールK”を名乗り、体当たりロケへ出かけたり、テリー伊藤の番組でも過激なチャレンジや危険なリポート中継を繰り返し、破天荒アナへの道を突き進んでいく。さらには和田アキ子の番組で、初めての中継仕事の際に寝坊して遅刻、安室奈美恵さんのインタビューの日にちを間違えてすっぽかしたりなど、とんでもない失敗も続いた。
「アッコさんのときは間に入ってくれた方がいて、謝り倒して許していただきましたが、さすがに安室ちゃんのときは謹慎処分になって、部長から『進退伺を書け』と言われました。でもそれが何かわからなくて『進退伺って、何ですか?』と聞いたら『おまえは本当にクビだ!』と、みんなの前で怒鳴られました」
失敗続きで叱られていたものの、それを「面白い」と使ってくれる人がいる社風だったからこそ、アナウンサーを続けられたと垣花は言う。
「みんなでふざけたことや楽しいことをするのはやりたかったことだし、それがアナウンサー職でできるのがニッポン放送だったんです。もし他局でアナウンサーになっていたら、もっとちゃんとアクセント矯正されたり、ニュース読みの教育をされたでしょうから、いずれ楽しくなくなって、アナウンサーを辞めていたかもしれません」
一方、競馬での借金は雪だるま式に増え、数百万円にまでふくれ上がっていた。周囲の人やイイジマさんに何度も「これが最後!」と頼み込んでは借金を繰り返していたが、もうこれ以上借金できない状態となり、さらには銀行で借金をまとめるローンの審査で断られたこともあって、イイジマさんが借金を肩代わりすることになったという。
「垣花に聞いてみたら利子しか返してない状態だったので、『借用書を持って高田馬場の喫茶店に集合』と言って呼び出して。垣花は『競馬って、儲かるんですよ』とよく言ってましたけどね(笑)。一度『今日は絶対に勝てる』と垣花が言うので、一緒に競馬に行ったことがあるんですけど、垣花は10万円単位で一点買いするんですよ。その馬券を持ってレースを見てると、怖くてなんか変な声が出ましたね」
返済は毎月の給料を生活費と借金返済に分けて垣花の2つの口座へ振り込み、返済用の口座をイイジマさんが管理することでコツコツと(ときどき借金もしながら)返済し、数年かかって完済した。