国の法律まで変えた彼らの人気ぶり

 極めつきは、中学生だった赤坂とアツヒロが労働基準法により、午後8時以降はテレビ番組に出られなかったところ、国がいわゆる「光GENJI通達」を出し、出演OKにしたことだ。

 今と同じく当時も、駅や空港はもちろん、自宅や学校付近でタレントを待つことはダメだった。しかし、その状況が人気のバロメーターととらえられる傾向もあった。いずれにせよ、日本中のそこかしこが活気にあふれていたことは確かだ。

 リアルタイムで見たことのない世代にも、Kis-My-Ft2が披露しているローラースケート・パフォーマンスの元祖、なにわ男子が歌う『劇場版 忍たま乱太郎 ドクタケ忍者隊最強の軍師』のテーマ曲『勇気100%』の初代と聞けばピンとくるかもしれない。

 さて、古今東西たくさんのアイドルがいる中、光GENJIが、いちアイドルの枠を超えて社会的存在になったのはどうしてだろう。

 旧ジャニーズ事務所のタレントたちの取材歴が長い芸能リポーターの山﨑寛代さんは、まず、メンバーが7人という人数に注目し、「セブンスターという構成が良かった」と話す。それ以前のシブがき隊、少年隊はいずれも3人組。メンバーカラーは当然3色だった。

「光GENJIは7色に増えたのが大きかったと思います。ローラースケートで歌って踊るという斬新なスタイルで、足を上げてクルクル回り、カラフルなキラキラを振りまいた。後にV6でも見られますが、お兄さんチームと弟チームの組み合わせも絶妙でした」(山﨑さん、以下同)