“風呂なし・トイレ共同”から抜け出せた39歳
――その後、注目を集めたのが英会話学校のNOVAのCMでした。結果的には英語が役立ちましたね。
「39歳ですから、日本に戻って10年後です。それで少しお金が入って、ようやく風呂なし・トイレ共同のアパートから出られました」
――どうやって生計を立てていたんですか?
「33歳で劇団(平田オリザが主宰する『青年団』)に入ったんですけど、劇団員の人の実家が持っている六本木のビルで管理人をしていました。朝行って掃除をして、あとは領収書の仕分けとかいろんな雑事。劇団優先で行けるときに行けばいいというので、とてもありがたかったです。
そのうち舞台の僕を面白がってくれる人が出てきて、映像にも呼んでくれるようになったんです。沖田修一監督(『南極料理人』)もそうだし、山下敦弘監督もそう」
――山下監督の『マイ・バック・ページ』では主人公・妻夫木聡の先輩で、気骨ある新聞記者の役が鮮烈でした!
「その年(2011年)は『歓待』(深田晃司監督)も公開だったのかな。深田くんも青年団の演出助手だったし、本当に劇団が人との出会いをつくってくれて、そこから仕事が来るようになりました」
――独特の味のある演技に接するたびに、よくぞやめずに続けてくれたと思います。その後は順調ですよね?
「ものすごくラッキーだったと思います。すぐにダメになるかも、と不安もありましたが、とにかく食べてこられた。こういう仕事なんで何の保証もありませんが……。
それに今は世の中がすごいことになっている。世界を見ればアメリカは大変だし、ガザなんていうのは地獄ですから。あんなのを許してる人類ってなんだろうって。あんなのは遠い国の話だなんてことは絶対にあり得ない。必ず僕らに影響してきますよ。
まして日本の政治はひどいですから。つい去年だって、米がなくなって大騒ぎ。野菜もどんどん値上がりするし、本当に怖いと思います」
最新作は足立正生監督の映画『逃走』だ。演じるのは1974〜75年、過激派組織が起こした「連続企業爆破事件」に関与したとして全国指名手配された桐島聡。
偽名を使って土木工事会社に住み込みで働き続け、逃走から約49年後の2024年1月、病院に担ぎ込まれて亡くなるまでを描いている。
――昨年、指名手配犯の桐島らしき人物が見つかったと報じられ、さらに名乗り出た4日後には亡くなり大きなニュースになりましたね。
「桐島さんはずっと自分を隠すように生きた方なので、ほとんど資料が残っていない。なるべく忠実に演じたい欲求はありましたが、『逃走』の中の桐島さんはあくまで監督・脚本の足立正生という人が思い描く桐島。実在する本人になろうとする必要はなかったんだ、と今は思います」
――桐島といえば、なぜか笑顔を浮かべている手配写真がインパクトがありました。
「そうですね。ああいう写真はにらんだりしている顔が多いものですが、彼には逮捕歴も前科もないので、写真はあれだけ。それが捕まらなかった一つの理由なんでしょう」