ブーイングを浴びるチャンピオン
’02年11月28日、棚橋は交際していた女性にナイフで刺されるというスキャンダルに見舞われる。
別れ話がこじれた末の事件だった。ナイフは肺まで達し、血液量の約3分の1もの多量出血。冗談ではなく、「普通の人間なら即死」という重傷を負う。取材中、終始にこやかだった彼も、この一件になると、さすがに表情を一変させた。
「プロレスに対する悪いイメージをつくってしまった。僕はスターだと勘違いしていました。すべて自業自得です」
棚橋は深い息をついた。
「あのころの写真を見ると、どれも悪相をしています。実際、チャラチャラしてた。でも、この一件で僕はエースの意味を考え直し、本当の意味でのエースを目指す決心を固めました」
父母は病室に駆けつけてくれた。ひと言も責めず、ただうなずくだけだった。
「親父は僕を見舞った後、会社の上層部の方々を訪ねて頭を下げてくれたそうです」
会社は棚橋を解雇しなかった。やはり、次代のエースとしての期待の大きさゆえのことだろう。父は息子にこう諭した。
「プロレスに借りができた。必ずご恩返しをしなさい」
だが、棚橋は復帰後も苦難の洗礼を受ける。団体から11名もが大量離脱するという非常事態の中、彼は最高峰のIWGPヘビー級王者となった。しかし、新チャンピオンはブーイングの嵐にさらされる。
「新日本を愛しています!」
彼は試合のたびに叫びながら、奈落の底で苦悶した。
「僕という人間を否定されたのは、生まれて初めての経験でした。同じころ、尊敬する武藤さんから、"お前はプロレスを壊している"とまで言われました。本来ならファンの支持を得なきゃいけない王者が悪役以上のブーイングを浴びて何をしてるんだと……」
それでも棚橋は自分のスタイルを貫く。
「チャラ男だけど、プロレスに対して真正面から向き合っているし、肉体もしっかり鍛えている。ただのチャラ男じゃなく、強くてどこか可愛げのあるレスラー。それが棚橋弘至なんです」