目次
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ー バランスのとれた大河ドラマ『べらぼう』
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ー 「吉原」に危機 ー プロデューサーとしての蔦重の力
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ー 庶民文化が開花した秘密とは──?

 日本のポップカルチャーの礎を築き、時にお上に目をつけられても面白さを追求し続けてきた“蔦重”こと蔦屋重三郎の波瀾万丈の生涯を描いた、現在放送中の大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』(NHK)。

バランスのとれた大河ドラマ『べらぼう』

 今年、日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞。今、ノリにノっている横浜流星演じる蔦重と、花魁(おいらん)・瀬川(小芝風花)の切ない恋の道行きに心奪われた視聴者も続出している。

 しかしその一方で、吉原を舞台にしているだけに過激な性描写に疑問を呈する声も上がっている。

花魁道中など、華やかな吉原を描きながらも、病に感染して命を落とす女郎たちの悲惨な末路もしっかり描いている。そういった意味では、バランスのとれた大河ドラマではないでしょうか

 そう語るのは、歴史評論家の香原斗志(かはら とし)さん。

 さらに今まで大河ドラマでは描かれたことのない宝暦・天明文化を題材に選んだことにも、先見の明を感じるという。

これまで大河ドラマで描かれてきた江戸時代は、神君・家康公から8代将軍・吉宗まで。そこから100年間は描かれることなく幕末・維新の動乱を取り上げてきました。

 今回描かれている宝暦・天明は吉宗の後に権力を握った田沼意次(渡辺謙)が権勢を誇った時代。年貢に頼るだけでなく、経済政策を中心に幕府の財政を立て直そうとする姿が描かれています。そんな時代だからこそ、庶民文化が花開きました」(香原さん、以下同)

 商人が台頭し経済的にも右肩上がりのこの時代になると、江戸に暮らす町人たちの生活にも余裕が生まれる。

 当時の庶民の生活を振り返ってみよう。

元禄時代(1688年~)のころから、1日2食から3食の食生活になりました。貧しい農村ではヒエやアワを食べていましたが、江戸の町人の家では3食白米を食べていたことは、意外と知られていません。

 白米のご飯にみそ汁、野菜の煮物や香のもの、たまに焼き魚が食卓を彩っていました。前の時代に比べて、豊かになりましたが、タンパク質や脂質不足は否めません。だから、蔦重のように脚気(かっけ)などで亡くなる人が多かったんです

 江戸時代の人気のグルメといえば、にぎり鮨(ずし)、うなぎのかば焼き、どじょう鍋に天ぷら、おでんあたりがすぐ浮かんでくる。

 今「江戸前」といえば「にぎり鮨」と相場は決まっているが、当時の「江戸前」は何といっても「うなぎ」

 隅田川、神田川、深川でとれたものを「江戸前のうなぎ」と呼んでいたのである。

 しかしこうした河川が埋め立てられ、大正時代になると「江戸前」は東京湾でとれる魚で握る「にぎり鮨」に取って代わられる。「うなぎ屋」にしては悔しい限りだろう。

 さらに煮魚や芋の煮っころがしで飯も食べさせれば、酒も飲ませる。そんな居酒屋も当時は繁盛していた。

 酒屋によっては量り売りの酒を、簡単な肴(さかな)で飲ませていた。樽(たる)や長床几(しょうぎ)に酒食をおいて飲む、今でいう「角打ち」スタイルの店もあちこちで見かけるようになった。

※写真はイメージです
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