発想や物事の捉え方が極端な山里
根本的な話になるのですが、山里さんはMCという立場をどうとらえているのか疑問に思います。情報番組のMCに求められるのは“中立性”ですから、週刊誌の報道や特定の誰かを正しいとか間違っているとジャッジする立場にないと思うのです。
週刊誌が芸能人の性加害を報じたからと言って、性加害は真実だと決めつけてはいけないのと同様に、記事の一部に間違いがあり、訂正していたからといって、記事全体が間違い、つまり誤報や憶測であるとまでは言い切れないでしょう。MCは、週刊誌がこう報じたという事実のみをベースに議論を展開し、コメンテーターAさんはこう言っていますが、Bさんはどう思いますか?というふうに交通整理しつつ、多様な意見を引き出すことが求められるのではないでしょうか。コメントが無難過ぎると視聴者が退屈してしまいますからつっこみ、極端な方向に走れば軌道修正するなどの舵取りをすることを求められていると思うのです。
山里さんはどちらかというと、コメンテーター向きだと思うのです。コメンテーターであれば、「彼はそんな人ではないと思う」と擁護したり、週刊誌を糾弾しても、個人の意見として受け止められますし、ちょっとクセがあるほうが番組的にはありがたい。しかし、MCが証拠もなくそのようなコメントをしてしまうと、番組自体が偏向しているとみなされ、この番組とMCはヤバいと視聴者からそっぽを向かれてしまうでしょう。もっとも、これは山里さん本人の問題というより、キャスティングする側のミスではないかと思いますが。
「記事の一部を訂正した=誤報、憶測」と解釈したように、山里さんは発想や物事の捉え方が若干極端な傾向があると言えるのではないでしょうか。みなさんの周りにも、敵か味方か、勝ちか負けかというように、物事を二極化して考える人はいると思いますが、このような極端な物の捉え方は「白黒思考」と呼ばれています。
何言ってるんだ、世の中には敵か味方しかいないだろうと思う方のために説明しますと、世の中には敵と味方以外に「敵でも味方でもない人」というのが存在し、そういう人が大多数だったりします。また、白黒思考を続けていると、攻撃性が高まることがわかっています。自分とは違う意見だったり、追従してくれない人がいた場合、普通の人は「あの人はそういう意見なのね」と受け止めますが、白黒思考の人は「オレの意見に賛成してくれない、つまり敵だから、叩きのめしてやらなければならない」とみなして、攻撃対象にしてしまうからです。
しかし、こういう“ゆがみ”というのは、芸人さんにとっては大切な個性であり、強みです。山里さんは、2018年12月14日放送の『しくじり先生 俺みたいになるな』(テレビ朝日系)において、山里さんは自身をすぐに他人と比べて嫉妬する性格であることを明かし、相方のしずちゃんこと山崎静代さんが自分よりも注目を集めたことに納得がいかず、映画『フラガール』のオファーが来たときは、話をもみ消そうとするなど、相方を攻撃した過去を明かしています。
今年の3月25日放送の『山里亮太と平成デトックス』(テレビ朝日系)では、かけだしの頃に、超有名番組に出してやるという名目で、番組スタッフに女性をナンパしてこいと言われ、できないと言うと飲み代を払わされたなどの新人イジメを明かしています。