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 話題の『嵐、ブレイク前夜』(主婦と生活社)の中で、嵐のメンバー候補だったと記されている俳優の浅倉一男(当時、浜田一男)。そんな彼が知られざる当時のエピソードを語ってくれた。

「僕と櫻井と穴沢(真啓)とで“それ行けトリオ”(日本テレビ系バラエティー『それ行けKinKi 大放送』内で作られたユニット)を組んで、巷のハテナを解明していくコーナーを任されていたんです。櫻井は、学校終わりに学ランでテレビ局に来ていました。高校に行きながら、収録にもレッスンにもちゃんと来ていたので、すごいなと。まさに“スーパー高校生”でした」

 浅倉いわく、当時の櫻井の睡眠時間は3時間くらいで、毎朝4時に起きていたとか。

「普通に学校に行くだけでは、追いつかないからなんでしょうね。前日の授業の復習をしていたみたいです。でも、楽屋で寝たところは見たことなかったし、いつも参考書片手に勉強していました。そんなときは邪魔しちゃ悪いから、僕らはひたすらロケ弁を食べ続けるという(笑い)」

 高校生とは思えないような櫻井の勤勉さ。浅倉は、嵐のメンバーそれぞれの人間的魅力を身近なところで感じてきた。

 ちなみに、プライベートでいちばん仲がよかったのは松潤。浅倉の同期であるタッキーと一緒に、3人でよくゴハンを食べに行ったという。

「松潤の家や滝沢の家に泊まりに行くことも多かったですし。滝沢がビデオカメラを回して“ミニドラマ作ろうよ”って言うので遊びで演技をしてみたり、プロレス技をかけあったりとかしていましたよ」

 NHKに行く途中に立ち寄れる、渋谷のセンター街や原宿の竹下通りも遊び場だった。

「流行していたナイキのスニーカーとか、GUESSのパンツとか買いに行ったり。当時、森田剛クンがベースボールキャップをよくかぶっていたんですが、Jr.の中では“超カッコいい、オレも欲しい”ってなるわけですよ。それで竹下通りの中にある、ヒップホップ系の黒人がやっているお店にもよく行ったなぁ。自宅から原宿、そしてNHKは定番のコースでした」

 ところで、同書には松潤がコンサートの演出などについて積極的に意見する姿が描かれている。さすがに昔からそういうキャラではなかったようだが、彼の創造性を育てる土壌は、すでにこのころからあったとも。

「Jr.が主役の番組では“こういう企画をやりたいです”と言うと、それが通ることがよくありました。もちろん、プロデューサーさんや放送作家さんもいますけど、ミニドラマやロケ企画なんかはJr.が考えることも多くて。滝沢なんかはよく意見を言っていましたね。そういう彼の姿を見ていて、松潤はプロデュースすることの楽しさを覚えていったのかもしれません」

 当時は『8時だJ』(テレビ朝日系)や『愛LOVEジュニア』(テレビ東京系)など、ゴールデンタイムに冠番組を持っていたJr.たち。

「今のJr.たちは、僕たちのころより冠番組が少ないから、生え抜きで出られるコが少なくなっているんじゃないかな。当時はJr.に入れば何とかなるかもしれない、と考えていた人たちがたくさんいたように思いますけど」

 浅倉は現在、新宿・歌舞伎町にあるバー『Season』で働きながら、芸能活動中。俳優を本格的に志したきっかけは、ある作品との出会いだった。

「20歳くらいのときに、新選組を題材にした舞台で“藤堂平助”という武士の役をいただいたんです。実在する人物を演じるのはそれが初めてで、彼のことを勉強しているうちに日本史が好きになり、演技するのが楽しくなったんです。台本をもらって、その人物の生きざまというか歴史を考えるのがたまらないんですよ。当時のファンの方たちが今も応援してくれているので、それはすごくありがたいことですし、うれしいですね」