元『サンデー毎日』編集長として、高倉健さんと触れ合ってきた18年間をまとめた近藤勝重氏の著書『健さんからの手紙 何を求める風の中ゆく』(幻冬舎刊)が、2月4日に発売される。そんな近藤氏に建さんとの思い出のエピソードを語ってもらった。
《最近、怖いと思える気象変化を実感する日々が続いております》
’14 年6月25日付で届いた手紙は、そんな文頭から始まっていた。
「気弱なというか、あの方は自分で病気のことを言ったりは絶対にない人だと思います。強気で世の中を渡ってきた人が、“季節の風が怖い”と書いてきたんですね。“怖い”という言葉が、健さんの中から手紙となって出てきたことに驚いたんです。直感的に何かが起きているのではとも思いました。結局、それが僕への最後の手紙になりました」
健さんががん治療を始めたのがその年の4月、それから2、3か月後に届いた手紙だ。
「このとき以来、万が一ということを常に心配していました。ひょっとしたら彼の中で何か起きているのでは、と案じたんです。万が一、どう対応すればいいんだろうと、頭の中にずっとありましたね。私は何があっても書かなくちゃいけない身ですから」
そして11月10日、健さんが他界した同時刻、近藤氏は愛媛県新居浜市にいた。母校の小学校で文章教室開催を予定していたのだ。
「本当は前日9日の朝に、身体の調子が悪くて断りの電話を入れたのですけども、“子どもたちが垂れ幕を作って待っている”というんで、これは行かなアカンなと。で、向こうに着いて飛行機から降りた途端に耳が鳴り出して、その晩にホテルで熱が出ました。そして日をまたいだ10日、健さんが亡くなった日、僕もベッドで身体を震わせてうなっていたんですよ」
だからどうだ、と近藤氏は言うわけではないが、続けて、
「そのときも、こんな言い方したらおかしいけども、自分がこれまでに書いた、健さんに関する資料をいっぱい持って行っていました。東京を離れているときに、何かあったらまずいと思って。これも新聞記者の勘ですよね。6月以降はほとんどそうしていました。でも、まさかね。そんなことが起きているとは思ってもいませんし、思いたくもなかったです。次の映画を期待して待っていたことは確かでしたからね」
健さんの事務所から一報を受けたとき、「すべてが終わった」と感じたという近藤氏。彼には夢があった。
「僕はまじめに思っていたんですよ。山中の絶景な眺めのところで、健さんの大好きなコーヒー店を開いて、彼を呼びたいと思っていたんです。自分の中では絶対に来てくれるなと。そんな夢を馳せられたことも、すべて終わってしまったんです。来てくれたときの健さんへの文句も考えていたんですけどね」