今回の又吉フィーバー。テレビを見ていると、受賞者は三人いたにも関わらず、そのフィーバーの影に隠れてしまって、ほかの受賞者たちがほとんど映っていなかったことに、私も含め多くの人が違和感を覚えたと思う。でもこれって、マスコミにおいては、よくある光景なんだよね。
こうした状況を生み出してしまっている背景には、大きく2つの理由があると思う。
まず、今回のマスコミの報道を見ていて改めて痛感したのは、世の中は才能よりもドラマ性なんだってこと。つまり、その人がどのくらい才能があるか否かではなく、その人がどのくらい特殊なバックグラウンドやドラマ性をもっていて、数字を取れるか否か、それによってマスコミの取り上げ方に差ができてしまっているということ。
才能は才能であるのに、そこで騒がれるわけではなく、あくまでドラマ性によって判断されてしまっているんだよね。これって当事者に対しても失礼なことだよ。
今回のことだって、もし私が又吉さんの立場だったとしたら、作品そのもので騒がれているのではなく、芸能人だからということで大きくフィーチャーされているってことを寂しく思うし、他に受賞したふたりにも申し訳なく思ってしまう。私だったら、やっぱり作品、その中身で話題になりたい。
確かに、こうしたフィーバーを入り口に興味が湧いて、実際にその本を読むきっかけになったって人もたくさんいると思う。良いか悪いかは別にして、フィーバーされることによって、事実、購買に繋がっているわけ。
でもだからといって、このままでいいわけじゃない。出版不況といわれるなかで、たしかに本は売れるかもしれない。普段、本を読まない人も手に取るかもしれない。だけど、こうした前例ばかりを作ってしまうと、いくら頑張っても、結局は表面的な特徴、例えば容姿だったりキャラクターなどがないと、評価してもらえないんだなって、あとに続く才能のある人たちのモチベーションを下げてしまこともあるんじゃないかって、私は危惧する。そういう意味においても、ドラマ性ばかりを取り上げるというのは、マスコミの直さなくてはならない癖だよね。
だけど、直さなきゃならないのはマスコミだけじゃない。受け手である私たちにも問題がある。ここからがもうひとつの理由。
だって、実際、そういう報道の仕方で数字が取れてしまっているんだから。流されやすい視聴者がいれば、マスコミがそれを利用するのは、ある意味で当然のこと。人を評価するときに、中身ではなく、バックグラウンドやドラマ性が大きくその評価を左右してしまう社会ってどうなのかな。マスコミだけでなく、一人一人の意識のレベルから直さなきゃならないと思う。
今回の一連の流れ、つまりマスコミがドラマ性にばかりスポットライトを当てて、視聴者もそれに流されてしまっているということを見ていて思ったのは、過去にも似たような例が、フィギュアスケート界でもあったなって。
フィギュアでバク宙⁉︎ ドラマ性への抗議
皆さんの記憶に新しいのは浅田真央とキム・ヨナの対決っていう構図だろうけど、この構図、実は昔からあったんだよね。
例えば、トーニャ・ハーディングとナンシー・ケリガン。この二人の対決を盛り上げるために、いくら上手な選手が出てきても点数が抑えられてしまっていて。フィギュアには芸術点というグレーな存在のものがあるから。
“にわかファン”はそれで喜んでいたわけだけど、昔からのフィギュア好きとしては憤りを覚えたよね。でも、あの頃のフィギュア界で、すごい行動を起こした選手がいるんだよ。スルヤ・ボナリーという選手は、試合中にバク宙したの。実力よりも、ドラマ性によって採点が左右されてしまうことに抗議をする意味で。バク宙は、試合でしてしまうと、その時点で失格になるにも関わらずにね。
まあボナリーの場合、皮肉にもそのことによってスポットライトが当たり、その後はバク宙を自らの売りにして、アイスショーではバク宙ばかりするようになったんだけどね。
今回の“もう一人”の芥川賞受賞者である羽田圭介さんも似たような状況よね。あまりにもマスコミが又吉フィーバーをやりすぎてしまったせいで、逆にもうひとりの受賞者は一体何者なんだろうって興味が湧いて、ネットで調べている人は結構いて、SNS界隈では話題になってたのね。
この人、会見のときも”受賞の知らせの電話があったときに友だちとカラオケにいて、メイクをした顔でX JAPANやオジー・オズボーンを歌っていて、受賞したら聖飢魔IIを歌おうと思っていた”とか言うもんだから、私も気になっちゃって。それで、いろいろネットで調べてみてビックリしたんだけど、過去の彼の作品名に『不思議の国のペニス』ってあるのよ。『不思議の国のペニス』だよ! カラオケのエピソードといい、もはやこっちが芸人なんじゃないかって思うくらい、キャラクターの強い人みたい(笑い)。
今回のは、マスコミが又吉フィーバーをやりすぎちゃったせいで、かえって“もう一人”の方に期せずしてスポットライトが当たったケースなのかもね。
〈構成・文/岸沙織〉