日本でハンガーストライキを行うという発想に、まずびっくりしました。
というのは、本来ハンガーストライキとは、獄中で無実を訴えるためであったり、弾圧されてしまい声が遮断されてしまうといった状況に置かれた人たちが、最後の手段として自分の命と引き換えに行うもの。もちろん注目を集めるためにも用いられますが、無期限の断食なわけですから、極限状態で行う一種の“自殺行為”と思うわけ。それしか術がないがために命を懸けてやるわけで、相当な覚悟がないとできないよね。
いまの日本という、ある程度の言論の自由が許された環境でハンストを行うと言えば、世界はびっくりしてしまいますよ。
ハンストをやらざるを得ない人たちとは、そもそも環境が異なるわけですから。デモだってできるし、みんなで集まって議論だってできる。自分の声を届ける方法として、そもそもハンストを手段として選ばなければならない環境ではないわけです。
そのうえ、現代ではインフラの発達により、さまざまな表現手段がある。例えばエジプトで2011年に起きた革命、若者たちがつかった手段はSNSでした。ハンストの創始者であるガンディーですら、ネット環境を持っていたならば、ハンストという手段は選ばなかったんじゃないかな。だって、ハンストより有効な手段があるんだもの。
彼らの声明文を読んでみて、さらに驚きました。まず、初日が午後2時から午後8時まで、2日目以降は午前10時から午後7時までと、時間が決められている。その時間が終われば、家に帰ってしまうと。
帰宅後もハンストは続けられると彼らは言うが…
水は飲むことができるというし、医師が監視していてドクターストップがかかったら、そこで終わり。さらにカンパまで募っている。これはハンストと呼べる内容ではないんじゃないかな。
声明文の通り実行したところで、ただセンセーショナルなものをやりたいというファッション的な抗議になってしまい、人びとの信頼は得られず、賛同者はおろか権力を動かすことなどできません。
実際、彼らの行動は社会人に鼻で笑われているでしょ。
重要なのは、これが不完全なハンストであるとか、声を発信するという点において恵まれた環境にいる人間が取る手段でないと諭す大人が周りにいないのかってこと。
そもそも身体に支障が出るかもしれないハンストなんか中途半端な意志でやるべきじゃない。諭すどころか、もし彼らをハンストに駆り立てるような大人がいたんだとしたら、それこそ問題。
何かを考え、自ら動いた彼らの行動力そのものは歓迎すべきものです。しかし、方法が違うと思う。彼らが取るべき方法は、少なくともハンストではないはず。
今からでも遅くないよ。大学にも行くことができ、せっかく恵まれた環境にいるのだから、しっかり勉強をして、どのような方法を取れば有効に訴えていくことができるのかを考えたらいい。
日本という環境において、自分たちの声をどう届けるか、その有効手段は決して若者がお腹を空かせることじゃないよね。
《構成・文/岸沙織》