実は、いじめの疑いは最初からあった。A子さんが亡くなった翌日の夜、親族が集まった。その中の1人が「いじめじゃないか?」と疑っていた。飛び降りたマンションの通路にA子さんの携帯電話が残されており、その中に未送信メールがあったからだ。
〈みんな呪ってやる〉
A子さんは3姉妹の末っ子。近所の小学生からは「お姉ちゃん、遊ぼ」と慕われる面倒見のいい女の子だった。運動神経がよくて足が速く、明るい性格。どんな思いでこの文面を打ったのか。
LINEでの悪口などのいじめを母親が知るのは告別式の後だった。同級生の女の子が「私のせいでこうなった」と事実を告げた。ほかにもクラス内でのいじめや部活内で暴力があったとの証言が舞い込んできた。
「いろんないじめが重なっていたのではないか」
と母親。
生徒のアンケートには、普段のA子さんからは想像できない目撃情報が書かれていた。
《(仲が良い)3人から無視されたり、避けられたりしていた》
《グループから2回も仲間外れにされていた》
仲のいい女の子グループでいじめのターゲットになったようだ。さらに部活でも、
《(部活で女子の)先輩から膝でお腹を蹴られていた》
亡くなる数日前、A子さんは部活のテニスコートの土をかき集めて砂山のお墓をつくり、「私が死んだらここに入れて」と話していたという。
家庭内の噂も書かれていた。アンケートに書かれていることがすべて本当かどうかはわからない。市教委は当初「いじめと自殺の因果関係は低い」との見解を示していた。何が事実でどうすれば自殺を防げたのか。きちんと検証するため、中立の調査委員会は立ち上がったはずだった。
’13年7月10日、調査委は初会合を持った。しかし、メンバーには市側の顧問弁護士が入っており、遺族との訴訟対応を意識したような構成だった。さらに、市教委は調査委に対して「遺族が予断をもったことを言っている」などと抗議していたという。調査委は遺族と対立した。
「地域が(真相究明のために)協力できない状況になりかねなかった」
調査委と遺族側は信頼関係を築けず、結果、顧問弁護士(この時点では契約は解除されていた)は自発的に辞職。ほかの3人の委員は解任された。
調査は遅れた。生徒たちへの聞き取りは、’13年11月に新しい調査委員会(新調査委)が発足してからになった。