■恵まれた音楽人生と“彼”との出会い

 全聾の男性が人気ゲームの音楽でヒットを飛ばし、さらには演奏時間60分にもなる交響曲を作成。コンサートが開かれ、彼自身もテレビ番組で紹介され、もてはやされる。しかし、実は彼は聴覚障害ではなく、曲もすべて、ゴーストライターによるものだった! そんな前代未聞の事件が、2014年2月に明らかになったことは、記憶に新しいのではないでしょうか?

 このゴーストライターの役割を、18年にもわたって続けたのが、音楽家の新垣隆さん。初エッセー『音楽という〈真実〉』の中で、新垣さんは幼少時の音楽との出会いから事件の裏側、そして現状、未来についてまで、率直に語っています。

「エッセーを書くにあたり、恵まれた環境で自分は育ったんだと改めて思いました。幸運にも音楽を愛し愛されというのが、私の出発点です。事件の後も、教えていた大学を辞する意を伝えたら慰留をされ、演奏仲間からは励まされ、音楽を通したつながりや、積み重ねが、窮地に立った自分を助けてくれました」

 理解のある両親のもとで、充実した音楽教育を受けた幼少時代。現代音楽にのめりこみ、兄の影響から聴いたYMOに衝撃を受け、さまざまな音に触れた日々。尊敬する師匠たちと出会い、高校時代はオーケストラ部で活躍し、大学時代は作曲仲間、演奏仲間と切磋琢磨した青春。新垣さんの喜びも悩みも人との縁も、すべて音楽がもたらしてくれたことがわかります。

 順調だった音楽人生が変わったのはもちろん“彼”との出会いがきっかけです。「弦楽合奏曲について教えてほしい、仕事にも協力してほしい」と、大学の後輩を介して出会ったのが、後に全聾の作曲家として脚光を浴びる、“彼”こと佐村河内守氏でした。

 佐村河内氏は自分のアイデアを新垣さんに伝えるのみで、実質的な作業はすべて新垣さん次第という、無茶な仕事の進め方を始めます。しかも表に名前が出るのは、佐村河内氏のみ。普通ならば、とうてい受け入れがたい条件ですが……。

「音楽の知識の乏しい彼とのやりとりは何というかアレですけど(苦笑)、譜面を書き上げる、仕事をやり遂げるという面では、喜びがありました。今となっては、甘かったと思います。苦労して書きあげたものが、人の名前で公表されるということは、変わり者のように聞こえますが、むしろ自分の名前が出るのは嫌だなと。最初から、いびつな関係でしたからね。だったらやらなければよかったのですが……」