汚染発覚で頓挫も進まぬ跡地利用
こんなこともあった。
’95年11月。恩納村の米軍恩納通信所が返還された。敷地面積は62ヘクタール。返還前から、村では役場と480人の地主とが『跡地利用検討委員会』を設置。跡地に8つの企業が参画するリゾート開発が決まっていた。ところが’96年3月、通信所の汚水処理槽の汚泥から最高で基準値の14倍のPCBが検出された。
その一報を聞いた時、役場企画課職員のNさんは「委員会の長年の話し合いが水泡に帰す」と直感した。
「日米地位協定では、返還後に発見された汚染物は“日本のもの”。だから、汚泥の引き取りを米軍は拒否しました。汚泥はドラム缶700本に詰めて、恩納村の自衛隊基地で保管することになったんです」
はたして、PCB汚染がもたらしたイメージダウンで計画は頓挫。その後、跡地利用されたのはわずか約4ヘクタールで、19年たった今、ようやく新しいリゾート開発が進もうとしている。
汚泥処理にカタがついたのは’13年11月。福島県いわき市のPCB処理施設へのドラム缶の搬出が決まったのだ。搬出に立ち会った副村長は「本来は米軍が処理すべきもの。日米地位協定は改善すべき」と地元紙にコメントした。
沖縄の米軍基地は少しずつ返還されているが、そのたびに汚染問題が発覚する。最近の返還は、今年3月のキャンプ瑞慶覧(宜野湾市)の西普天間住宅地区(約51ヘクタール)。市は、ここを国際医療拠点や住宅地などに開発予定だ。ここでも腐食したドラム缶や基準値の3倍超の鉛が土壌から検出された。
だが、沖縄防衛局は「リスクはほとんどない」と表明。跡地開発は着々と進んでいる。河村さんは納得できない。
「市の跡地利用への取り組みは早い。一方、汚染調査への取り組みは鈍い。沖縄市のように第三者の専門家が調査結果を評価するダブルチェックは最低限必要です」
河村さんら市民団体は、返還直前の2月に市を訪れこのことを訴えたが、市は「要請は承りました」と回答するだけだった。
「米軍に汚染者負担の原則を求める必要はあります。でも、沖縄の自治体も、こういうことへの対処を考えるべきでしょう。必要なのは、汚染状況についての住民説明会の開催など、住民も参画できる調査態勢の構築です」
さて、話を沖縄市に戻す。サッカー場はどうなるのか? 池原市議はこう答えた。
「もとのサッカー場に戻さないと、造成につぎ込んだ国の補助金の返還を命じられます。でも、この場所の子どもへの開放は難しい。防衛局が“原状回復は不可能”と判断すれば、ほかの用途もありますが」
悩ましい問題だ。それでも、池原市議や河村さんは「ここでの汚染処理を跡地利用のモデルケースにしたい」と望んでいる。
被害者を出す前の活動こそが求められている。
取材・文/樫田秀樹 ●ジャーナリスト。'59年、北海道生まれ。'88年より執筆活動を開始。国内外の社会問題についての取材を精力的に続けている。近著に『悪夢の超特急 リニア中央新幹線』(旬報社)