物語は富良野出身の黒板五郎が長男・純と長女・蛍を連れて、東京から戻ってきたところから始まる。最初に住んだ家には電気も水道もない。純は“電気がない!?”と驚く。

純「電気がなかったら暮らせませんよー!」

五郎「そんなことないですよ」

純「夜になったらどうするの?」

五郎「夜になったら眠るんです」

 やがて五郎は風力発電で電気を起こし、沢から水を引いて質素な生活を続ける。子どもたちは地元の人たちに見守られ、逞しく成長していく。

『北の国から』の魅力を、上智大学教授で、かつて倉本さんとドラマを作っていた碓井広義さん(60=メディア論)はこう解説する。

「ドラマが始まった'80年代初めは、やがてバブルに至る景気のいい時代ですが、世の中の浮かれ調子とは真逆の方向に五郎さん一家は進んでいった。それがすごく新鮮で、驚きでもありました。泣いたり笑ったり楽しく見せてくれながら、倉本先生は本質的なテーマを奥のほうに潜ませているんですよね。本当に人間にとって何が大切なのか。お金より、ときに1杯の水が大事だったりするとか。もう、ずるいくらい上手だから(笑い)、非常に厚みのある奥深いドラマになっていたんです」

 碓井さんによると、倉本さんが人物を書くときの造形方法は独特なのだという。

「倉本先生は登場人物を履歴書から作るんです。いつどこで生まれて、どんな子ども時代を過ごし、どんな友達がいて社会に出てどんな体験をしてきたのか。あそこまで徹底的に掘り下げる脚本家はほかにいないですよ。だから、うわべだけの人間は出てこないしウソくさくないんですよ」

 富良野市郊外の麓郷地区には、五郎が作った小屋など、ロケで使った施設が保存され公開されている。

【写真】「拾って来た家」。『2002遺言』の中で、五郎が廃材を集めて作った
【写真】「拾って来た家」。『2002遺言』の中で、五郎が廃材を集めて作った
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「拾って来た家」の運営管理をする「ふらの観光協会」の北島範男さんによると、オープンした2003年には40万人が来訪。最高で1日に1万人が来た日もあったそうだ。

「富良野はスキーの街でしたが、ドラマのおかげで、こんなにきれいな街なんだと知れ渡りました。ドラマが終わって13年たちますが、今も年間15万人が訪れます。毎年来てくださるリピーターもいて、すごいねと、みんな感心しているんですよ」

 JR富良野駅近くにある「北の国から」資料館には、平成26年度は2万人が訪れた。来訪者は若者から高齢者まで幅広く、涙を流しながら見入るファンもいるそうだ。

 その後、フジテレビで'05年に『優しい時間』、'08年に『風のガーデン』が放送された。舞台になった喫茶店やガーデンは富良野の人気スポットになっている。

取材・文/萩原絹代 撮影/渡邉智裕

※「人間ドキュメント・倉本聰」は4回に分けて掲載しています。他の3回の記事は関連記事にあります。