加えて、その場にいた母親がバッシングを受ける。その前にテレビのインタビューに答え、番組で放映されたことで、「なぜマスコミを使うのか?」と責められたのだ。四面楚歌だった。
裁判も考えたが、学校からこれ以上の情報を得るのは難しく、ほかの生徒にもなかなか会えない。弁護士と相談し断念した。
「裁判をして陵平の友達に迷惑をかけるわけにはいかないと思った。ただ、あきらめる理由を探していたのかも」と、大貫さんは振り返る。
陵平くんの遺骨は母親からひと欠片だけもらった。「思い出のある場所に」と、一緒に登った北穂高岳に置いてきた。
「生徒指導の後、子どもが自殺する。こんな理由で死ぬのは、うちの子だけ……」
自分たちの育て方に問題があったのか? そうなると離婚さえも負い目に感じ、自問自答した。
だが'06年2月、励ましてくれた人たちの紹介で学校事故などで子どもが亡くなった人たちの集まりに行った大貫さんは、同様の理由でほかにも子どもたちが亡くなっていることを知る。参加するたびに新しい事例を聞いた。
その後、集まった人の中から「語り部になればいい」と言われたこともあり、『指導死遺族の会』を作ることになった。
『指導死』の定義は、「『指導』と考えられている教員の行為により、子どもが精神的あるいは肉体的に追いつめられ、自殺すること」。暴力を伴う指導は広義の『指導死』としている。
平成に入ってからだけでも同様のケースは63件ある。このうち85%は、指一本触れない生徒指導で子どもが自殺している。大貫さんは調査や相談を受ける中で、「指導死」の特徴が見えてきたという。
その特徴は、①長時間(長いもので4時間45分)②複数の教員による③精神的な暴力を伴う④冤罪型の指導⑤密告の強要⑥連帯責任⑦目的からはずれる⑧不釣り合いの罰則⑨子どもを途中で1人にする⑩教育的観点のフォローがない、といったこと。
特にほとんどの場合、フォローをしていない。「指導後にフォローするだけでも違う」と大貫さんは指摘する。
『指導死』の遺族の話も聞きに行く。普段は冷静だが、フラッシュバックすることもある。2年前、ある指導死遺族と教育委員会に行ったとき、過去の悔しさを思い出したという。
「亡くなって15年以上がたちますが“まだこうなのか”と思いました。あのときの思いは消えない」(大貫さん)
今月4日には、「教員による暴言・暴行によって不登校になった」という当時、小学生だった子どもの裁判で、証人尋問が行われた。中学生になった原告は泣きながら証言台で訴えた。
亡くなったときの陵平くんと同じ年齢だ。傍聴席で見守っていた大貫さんは「言いたいことを主張できて、よかった」と言い、目がうるんだ。
取材・文/渋井哲也