舎監長は再度、退寮させることを拒み翌日、菜美さんとBさん、Cさんの3人を指導した。しかし、お互いに問題がある「トラブル」という認識で、3人だけで話し合いをさせたのだった。舎監長は「仲直りした」と判断し保護者に連絡した。響子さんは言う。
「舎監長は“遠くに離れていて心配でしょうが、親のように見ているので、大丈夫ですよ”と言われました。このような先生がいるなら安心だと思い、退寮をとどまりました」
だが、このときの話し合いを菜美さんが録音していた。出身中学のLINEグループでの悪口についてBさんは、「レッテル貼らんでよ」「陰口ば言うことしかできんとね」と責め立てた。寮生活での嫌がらせについては和解しているかのようだが、Bさんからの脅迫的なLINEは話題に出ない。
その後、目立ったトラブルは確認されていないが、菜美さんには心理的な圧迫感が残っていたのだろうか。夏休みになった24日、タイムラインに「寮をやめたい」と書き込んだ。さらに27日、アイコンを「怒ったウサギ」に変更した。響子さんは言う。
「アイコンを見て、“怖いよ、ウサギ”って聞いたら、菜美は“よかもん”とだけ答えたんです。LINEで何かがあったのではないでしょうか」
8月に入っても菜美さんは気持ちが沈んでいた。11日に突然、「学校をやめたい」と言いだした。
「1学期は理由を聞きすぎたかな、今度はそっとしておこうと思っていた。そしたら“寮を出たい”と。親としては高校は出してあげたいと思って励ましました」
亡くなる前夜、菜美さんは自殺系サイトや首つりの方法がわかるサイトにアクセスしていた。登校日を数日後に控えていた。
「学校の対応はどうしましょう?」と担任から電話があった。「それどころじゃない」と伝えた。通夜には校長と教頭、担任は自宅に訪問。そこでも担任は同じことを聞いてきた。パニックにある中で、両親は「任せます」としか言えなかった。火葬後も同じ質問を繰り返した。担任への不信感が一挙に高まった。
「なぜ亡くなったのか? 経緯を知りたい」
両親が学校へ要望して、校内の『プロジェクト会議』ができた。菜美さんの自殺は当初、「遺族の意向」として発表されなかった。
「学校しか頼るところがない中、“公表すると調査がしにくい”と言われました。結果、“遺族の意向”となったんです」(響子さん)
学校はこの時点で「いじめ」ではなく、「トラブル」との認識だった。調査の報告のため、校長や教頭が自宅を訪問したが、学校側の報告は口頭のみ。響子さんが「報告書は?」と聞いても、校長や教頭は黙ったままだった。県教委に問い合わせると、学校に報告書の作成が指示された。
その後、博志さんまで失って響子さんは後悔する。
「夫は“(学校を)なぜ信じたんだろう”と言っていました。様子がおかしいと思ったとき、いじめを疑えばよかったです」
'15年2月、公平性・中立性の確保のため、弁護士を加えた『学校調査委員会』を設置した。1年後の最終報告書で、トラブルのうち5件を「いじめ」と認めたが、自殺との因果関係について「直接的な影響を与えたとは認め難い」とした。響子さんはこう話す。
「いじめがなくても寮を出られないことで、うつになったと……。この内容には傷ついています。菜美は、いじめと調査委によって、2度も3度も殺されました」
調査委には校長や保護者会長もいた。そのため、響子さんは今年3月に、より公正な再調査を県知事に手紙で要望。3月29日に県は調査の検証を含む『第三者委員会』の設置を決めた。そのことについて県教委は「特にコメントはない」としている。
響子さんは加害生徒らを相手に提訴も検討している。
取材・文/渋井哲也