そのロンドン五輪後、水谷は変わったという。幼少期から彼を追いかけているスポーツライターの城島充さんは、
「彼は卓球という競技を守るために不正の撲滅を訴えたんです。しかし、ロンドンでは結果が出なかったため、大会後“メダルがとれない言い訳”“そんなヒマがあるなら練習しろ”という声も少なくありませんでした。
すごく苦しんだのですが、そこで彼は、いつまでも変わらずに不正が行われる卓球界の現状を嘆くのではなく、この不正に勝つために、ロシアに渡って自分を鍛え直したのです」
ロシアではリーグ戦に参加。個人契約で中国人コーチを雇い、食事制限の徹底など、プロのアスリートとして自らを変えた。その結果が、今回のメダルだった。
「ロシアに渡ったのはすごい覚悟でした。ロンドンで負けてから、リオまでの4年間の成長はとてつもなく大きいです」(前出・城島さん)
現在、国際卓球連盟が使っている検査機では、補助剤の成分を検出することができないため、リオ五輪でも問題は解決されなかった。
団体戦終了後、水谷はインタビューで、
「補助剤自体は卓球界から全くなくなっていないし、ロンドンのときと何も変わっていないと思います。何を言っても今のところ変わる見込みがないということを受け入れて、技術と戦術、いろいろな心技体を鍛えることにしました」
と、コメント。不正を乗り越えて勝ち取った2つのメダルには、金メダル以上の輝きがあった。