'89年、朝ドラ『青春家族』に出演、SMAPで最初に人気が出たのは“吾郎ちゃん”だった。主演ドラマ、熱愛報道、そしてまさかの逮捕騒動から“メンバー論争”に『紅白』辞退。稲垣吾郎がSMAPにもたらしたものは?
シングル『Hey Hey おおきに毎度あり』で初のオリコンチャート1位を獲得し、順調にアイドル街道を進み始めたSMAP。しかし'96年5月、最初の危機が訪れる。
森且行がオートレーサーに転向するために脱退。後に怪物的な人気となる『SMAP×SMAP』(フジ系)が4月にスタートしたばかり。そのうえ、森の人気・実力は高く、木村拓哉とツートップと言われていた。
《将来はバイクのレースに出てみたいな》(JUNON'90年10月号)。森は早くからそんな発言もしていた。
転身の際には、普段は控えめな森から「絶対の自信と決意が感じられた」。後に木村もそんな言葉を口にしている。
脱退会見にはジャイアンツのユニフォーム姿の中居正広が同伴。明るく盛り上げていたが、胸中は複雑で解散も考えていたという。
森の事務所との契約が切れる日、それでもメンバーは森の家に集まり、オートレース養成学校入学のために断髪式を行った。このときただ1人参加しなかったのが稲垣吾郎。