加害生徒ではなく『関係生徒』
私は委員会から答申を受けた市教委に「誰が11人を加害生徒と認定したのか」との質問の電話を入れた。担当者から以下の回答を得た。
「答申は、そういう事実が確かにあったかを認定する位置づけです。つまり事実認定されたのは(前述した)5件だけ。その5件にしても当該生徒は加害生徒ではなく『関係生徒』と位置づけています」
さらに、こう続けた。
「学校側の対応が十分だったら、からかいの累積も食い止められたかもしれません」
次いで館中学校に電話すると、菅原光博校長が対応した。学校記録で当該生徒は「加害」にマルをされている。学校が彼らを加害生徒と認定したということかと問うと─。
「違います。学校は当該生徒がいじめたと断定してません。“関係性はある”と(近い意味の単語の)“加害”にマルをしました。この判断が答申にも反映されたと思います」
つまり、学校も市教委も11人を加害生徒と断定していない。だのに、聴き取り記録表も答申も、加害生徒であるような書き方だ。
真相究明を阻む遅すぎたアンケート
この件で不思議なのは、A君の自殺を全校生徒が知ったのは1年後であることだ。
'14年11月13日、学校の聴き取りに応じた生徒の保護者の何人かが、校長から、遺族からの「誠意を示してほしい」との言葉を伝えられた。1人の保護者が「誠意とは何ですか」と尋ねると27日、校長は、遺族の「示談金支払いに応じなければ、今回のことを公表し全校アンケートを取る。公表されれば事実がネットで広まる。憶測で被害が生じると思う」との伝言を伝えた。
その保護者たちは子どもが悪者扱いされることに納得できず、示談金支払いを拒否。真相究明のため、早急な全校アンケートを希望した。だが、これが実現しなかった。
遺族は、息子の死の非公表を市教委などに訴え、学校には「A家は引っ越したことにしてほしい」と伝え、実際、他県に引っ越したからだ。
はたして、館中学校の生徒がA君の自殺を知るのは翌年10月6日。6月に答申が出て、その後、学校名も公表され、説明せざるをえなくなったのだ。その流れで11月、ようやく全校アンケートが実施された。
愛子さんは残念がる。
「自殺直後から私たちは全校アンケート実施を何度もお願いしました。でも、これ以上の調査は不要との遺族の意向を受けた学校と市教委の方針で実現しなかった。1年もたつと記憶は薄れ、アンケート送付した312人のうち、委員会の聴き取りに応じたのは13人だけ。つくづく残念です」
聴き取り内容は、大雑把には「A君はやさしい人」「からかわれていた」「ほかにもからかわれている人はいた」「先生は一生懸命対応した」などで、アンケート回答には「子ども同士のよくあるからかいでは」との意見も。
これらの回答を盛り込んで'16年3月24日、第2次答申が作成された。だが、愛子さんが残念に思うのは、自分たち保護者の意見が反映されないことだ。第2次答申が自宅に届いた翌日、愛子さんは、「昨日は虚無感から答申を読み込むことができませんでした」と私にメールをくれた。