「原発は安全と言ってきた議員よりも、自分のほうが責任が重い」
原発事故により、20キロ圏内は避難指示が出され、立ち入りが制限された。20〜30キロ圏内は屋内待機指示が出た。地震から2週間後の3月27日、保坂氏は両方の地域をまたいでいた南相馬市へ向かった。
衆院議員時代も原発問題を追及していたことから、
「原発は安全と言ってきた議員よりも、考え方によっては自分のほうが責任が重いのではないか」と考えていたとき、30キロ圏内の人が避難しようとしていたところ、チェックポイントを通過できず避難できないとの情報が入ってきた。
「結局、その情報は確認がとれなかったが、これでは棄民ではないかと思い南相馬に行くことを決意した」
事故後、「原発に反対してきた人たちは、救出に向かうグループと、避難するグループとに分かれた」と保坂氏。自身は「誰かが何かをしない限り、混乱が拡大していくだけ」と「救出活動」を選択し、原発事故と向き合ってきた。
「原子力事故からパーフェクトに住民を守るすべはない」
原発事故から5年半が過ぎた。川内、伊方と再稼働が進むなか、「事故を繰り返してはいけないという意識が薄らいできている」と保坂氏は実感している。
今夏、オバマ大統領が被爆地・広島を訪れた。原爆を投下した国の現役大統領としては初のことだ。
「広島で核軍縮への思いは伝えていたが、核の平和利用が失敗したことまでは踏み込めなかった。はっきりと認識する必要がある」
今後は、各原発の再稼働問題に注視している。
「日本は何度も事故が起きようと、原子力産業の望むままなのか。福島事故後、ドイツは大きく転換した。原子力事故からパーフェクトに住民を守るすべはない。そのことを学んでいかないといけない。だから再稼働には反対していきたい」