葉タバコ栽培から“ゆず”による村おこし
茂木町はJT、専売公社の工場があり、葉タバコの生産で潤っていた過去をもつ。しかし昭和50年代に工場が撤退し、葉タバコ農家が激減するや過疎化が進む。打開策として葉タバコ栽培をしていた遊休農地を利用し、ゆずの生産による村おこしを開始すると、1996年には栃木県第1号の道の駅のもてぎが誕生した。
ところが2005年に高速道路の北関東道が開通すると茂木町を素通りして茨城、栃木方面に抜けてしまう人が続出。町は、立ち寄ってもらえるよう“茂木ならではの商品=ゆずを使用した加工品やメニュー”へと舵をきることにした。
当時、ゆずを生産できる北の限界地であった茂木産のゆずは、南で作られるゆずよりも甘みや香りが強いという特質を持っていた。寒暖の差が激しく、寒さをしのぐため皮が厚くなり、より風味が強くなる傾向にあったのだ。ゆずの生産が増えると、ゆずを加工品などにして使いやすい形で流通を開始。茂木=ゆずの町として認知してもらうため、積極的に道の駅でも販売。その集大成が、構想1年以上を費やし、地元の製麺業者とともに開発した特製麺を使った『ゆず塩ら~めん』というわけだ。
“道の駅もてぎ”だけが有名になっても意味はない
このような情熱と努力を傾けた20の道の駅がしのぎを削ったのが『道-1グランプリ』で、3位になった『あわじ島オニオンビーフバーガー』も淡路島の玉ねぎを知ってもらうために開発された。淡路島南ICから降りて淡路島にいかにして立ち寄ってもらうかを熟考したうえでの誕生だったという。だからこそ「どこがグランプリを受賞してもおかしくなかったし、まさか自分たちがとるとは夢にも思わなかった」と、阿島さんは振り返る。
「グランプリを獲得していちばんうれしかったことは、ゆず塩ら~めんを通じて“茨木町のゆず”が全国に広まったこと。宇都宮=餃子と認知されているように、茂木=ゆずとなることが、この町で暮らす人と働く人の目標。道の駅もてぎだけが有名になっても意味はないんです。ゆず塩ら~めんの売り上げが伸びても、ゆず農家の後継者がいなくなれば作れません。たくさんの観光客が茂木に来て、町が活気を取り戻すことがいちばん。そのための一つが、ゆず塩ら~めんなんです」(阿島さん)